新しく「信仰の糧」という分類を加えました。この分類では、私がいろいろ読んで感動しては、中学生の頃から特別なノートを作って書きためてきたもの(いろいろな信仰の読み物、信仰の詩、祈りのことば、また、今読んでいるディボーション誌の記事、エッセイなど、etc…)を紹介していきたいと思います。ちなみに、私が書いたオリジナルのものではなく、全部何かからの引用です。どこから取ったのか覚えていないものもたくさんありますが、「信仰の糧」として、私のブログを読んでくださる方のイエス様への愛と信頼と信仰を、励まし、慰め、導く為に、神様が用いてくださいますよう祈りつつ、紹介していきたいと思います。
<みことばを柔和に受け入れる>
韓国にいるとき、OOO画伯(漢字が出てこない上、韓国のお名前で読み方もわからないので、OOOにしました。ごめんなさい!)の絵に非常に強い感銘を受けました。壁のような大型キャンバスに、自由に力強く遊び回って跳ね上がる野生馬達を描いたその腕前は、見事なものでした。手なずけられていない動物達の活力を捕えた彼の腕前に圧倒されて、何時間も絵の前に立っていました。
彼の絵を鑑賞している間、「柔和」または「温順」を表す古代ギリシャ語の言葉に、「野生馬が、主人の穏やかな命令にも従順するように手なずけられた」という意味が含まれていることを思い出しました。馬は力を奪われたのではなく、力を出す方向を、主人の望む通りに調整されたのです。
柔和なクリスチャンとは、意志を神に向けて調整した人、つまり、自分よりも神の意志を優先する人です。心に植えられたみことばを柔和に受け入れることは、聖書を通じて語られる神に、無条件に従うという意味です。またそのお方が、みことばによって、もう一度造ってくださるようにと、自分を明け渡すことを意味します。
神のみことばに従えば、神は私達に、神を愛することのできる力を与えてくださいます。それはまた、仕えるようにと、神が私達のそばに置かれた人達の為に、喜んで献身することができる力です。従順に従う心をもって神のみことばを黙想すると、その黙想が、あなたを世から分離させるのでなく、世の中へさらに深く、捨てられて道を失った人々に、献身的に仕えるように導いてくれることを発見するようになります。
「黙想するクリスチャン」/オ・デウォン
Monday, April 21, 2008
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