今日は私の誕生日。朝から、たくさんの方々にお祝いメールをいただき、またプレゼントもいただいて、皆さんのあたたかい愛の言葉や行ないを通して、神様からたくさんの恵みをいただいています。ありがとうございます!
今年の誕生日は、私には感慨深いものがあります…。というのは、父が失明したのと同じ年齢になったからです。「パパは今頃、目が見えなくなったんだなぁ。」と、当時のことをいろいろ思い出したり、子どもの頃にはわからなかった、父や母の思いが少しわかるようになってきたり、このことを通して与えられた神様の恵みや祝福を数えて感謝の思いがますます深くなったり…。
5月16日〜24日まで、実家に帰ってきました。その時、家においていた楽譜を何冊か持ってきたかったので、母がまとめておいてくれた箱を開けて、楽譜や本などを探しました。その時、1986年11月号の「決断-Decision」というクリスチャンの月刊誌(今はもう発行されていませんが)が出てきました。両親が取材を受けて、「暗やみにいのちの光輝いて」という記事になったのです。
もう一度その記事を読み返し、大きな試練の中で、神様がどのように父と母に働き、慰め、励まし、その愛の中にしっかりと保って守ってくださったのか、また家族の必要をすべて神様の方法で満たし、私と弟に好きな学びをさせ、神様の導かれる道に進む備えをしてくださったこと、父や母の信仰、そして神様のすばらしさを思わされました。
「主は私の羊飼い。私にはとぼしいことがありません。(詩篇23:1)」小さい時から一番大好きなみことば。このみことばをしっかり握って、父や母の信仰、また私の為に祈り育ててくださった多くの信仰の先輩達の信仰と幻を受け継ぎ、子ども達や霊の子ども達に信仰のバトンをしっかり渡していきたいなと祈らされます。実家に戻って、なつかしい方々にたくさん会うことができました。そして一緒に育った幼なじみのSちゃん、今年度から母教会の牧師になったK君にも会い、一緒に育った友達が、大きくなってますます祈りの友としてお互いを愛し、祈り合える幸いも感謝しました。受けた恵みをたくさんの人と分かち合い、神様の恵みがますます豊かにされ、私たちの歩みを通して主の御名に栄光が帰されますように…!
Monday, May 31, 2010
<ぶどうの木>
「わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。(ヨハネ15:2)」
イエスがご自分をぶどうの木にたとえられたヨハネの福音書15章は、愛に満ちあふれたみことばです。「イエスはまことのぶどうの木であり、私たちはその枝です。」というのが、15章全体の要旨です。この本文は、実を結ぶ枝とそうでない枝が直面する、相反する運命について話しています。大学生宣教団体で軍隊の訓練のような信仰生活を送った私は、この箇所を読みながら失望したものです。自分自身をいくら振り返ってみても「実を結ばない枝」のように思えたからです。少なくとも「実を結ぼうともがく枝」くらいにはなるだろうかと思いましたが、本文にはそのようなグレーゾーンの枝はありませんでした。「農夫である神様が、私のような枝をすでに取り除いてしまっていたらどうしよう。いや、もうすでに取り除かれてしまったかもしれない」と思い、辛かったものでした。
このみことばは、ギリシャ語の原語を知っていても、聖書時代の文化を知らなければ、聖書の翻訳が難しいことを教えてくれます。ポイントは、聖書時代のぶどうの栽培方法にあります。今日のぶどうは枝がY型の針金に絡まりながら育ちますが、聖書時代には針金などはなく、ぶどうの枝は地面をはうようにして伸びました。農夫は地面の上に伸びた枝を一つ一つ持ち上げて、石で支えました。枝が地面に着くと、そこから新しい根が張ってしまい、もともとの根から栄養が供給されなくなり、実を結べないからです。このように聖書時代の農夫は、地面についた枝は「持ち上げ」、実を結ぶ枝は「きれいにする」剪定作業をしたのです。
本文では「取り除く」と翻訳されたギリシャ語の原語は「アイロ」ですが、これは「取り除く」と「持ち上げる」という二つの意味があります。聖書時代のぶどうの栽培方法に基づくと、このみことばは「持ち上げる」と翻訳することもできます。
すると、みことばの意味が大きく変わります。実を結べない枝を農夫である神が取り除かれるのではなく、一つ一つ持ち上げられ、結局は神のみこころをなしてくださるからです。さばきの恐さを与えるみことばが、すばらしい励ましのみことばに変わるのです。結局、枝である私たちが実を結ぶ方法は、とても簡単なのです。ただ、まことのぶどうの木であるイエスにしっかりとつながってさえいれば、農夫である神がすべてをうまく取り仕切ってくださるのです。
リュ・モーセ:イスラエル宣教師、『イスラエル・トゥデイ(韓国語版)』編集長
イエスがご自分をぶどうの木にたとえられたヨハネの福音書15章は、愛に満ちあふれたみことばです。「イエスはまことのぶどうの木であり、私たちはその枝です。」というのが、15章全体の要旨です。この本文は、実を結ぶ枝とそうでない枝が直面する、相反する運命について話しています。大学生宣教団体で軍隊の訓練のような信仰生活を送った私は、この箇所を読みながら失望したものです。自分自身をいくら振り返ってみても「実を結ばない枝」のように思えたからです。少なくとも「実を結ぼうともがく枝」くらいにはなるだろうかと思いましたが、本文にはそのようなグレーゾーンの枝はありませんでした。「農夫である神様が、私のような枝をすでに取り除いてしまっていたらどうしよう。いや、もうすでに取り除かれてしまったかもしれない」と思い、辛かったものでした。
このみことばは、ギリシャ語の原語を知っていても、聖書時代の文化を知らなければ、聖書の翻訳が難しいことを教えてくれます。ポイントは、聖書時代のぶどうの栽培方法にあります。今日のぶどうは枝がY型の針金に絡まりながら育ちますが、聖書時代には針金などはなく、ぶどうの枝は地面をはうようにして伸びました。農夫は地面の上に伸びた枝を一つ一つ持ち上げて、石で支えました。枝が地面に着くと、そこから新しい根が張ってしまい、もともとの根から栄養が供給されなくなり、実を結べないからです。このように聖書時代の農夫は、地面についた枝は「持ち上げ」、実を結ぶ枝は「きれいにする」剪定作業をしたのです。
本文では「取り除く」と翻訳されたギリシャ語の原語は「アイロ」ですが、これは「取り除く」と「持ち上げる」という二つの意味があります。聖書時代のぶどうの栽培方法に基づくと、このみことばは「持ち上げる」と翻訳することもできます。
すると、みことばの意味が大きく変わります。実を結べない枝を農夫である神が取り除かれるのではなく、一つ一つ持ち上げられ、結局は神のみこころをなしてくださるからです。さばきの恐さを与えるみことばが、すばらしい励ましのみことばに変わるのです。結局、枝である私たちが実を結ぶ方法は、とても簡単なのです。ただ、まことのぶどうの木であるイエスにしっかりとつながってさえいれば、農夫である神がすべてをうまく取り仕切ってくださるのです。
リュ・モーセ:イスラエル宣教師、『イスラエル・トゥデイ(韓国語版)』編集長
Thursday, April 29, 2010
<あなたの目にはわたしが見えないのか>
数年前、私は、生命倫理に関する講義をインターネット放送用に撮影したことがあります。聴衆が一人もいない状況で、暑い日でしたが、騒音が入らないようエアコンもつけずに撮影しました。ひどい暑さの為に、途中でカメラマンもカメラだけ作動させ、こっそり出て行ってしまいました。カメラの前で一人講義をしながら、心の中で葛藤しました。「今回の撮影でやめよう。聴いている人もいないのに、この暑い空間で何をやっているんだ。」
ところが、心の中に声が聞こえてきました。「本当に聴衆はいないのか。」「いません。」「わたしにはあなたが見えるのに、あなたにはわたしが見えないのか。」それは神の御声でした。その後、私が残りの講義の撮影を、情熱と誠意を傾けて臨んだことは、言うまでもありません。
いつも大いなる聴衆である神が、私たちの前におられます。今私たちは、主の前で生きているのです。カルヴィンはこれを「コラム・デオ(Coram Deo)」と表現しました。このような臨在意識を持っていた人はヨセフです。ポティファルの妻が、誰も見ていないから私と寝てくれと誘惑したとき、ヨセフは「どうして、そのような大きな悪事をして、私は神に罪を犯すことができましょうか。」と反論しました。神の臨在意識、コラム・デオ意識を持って生きるなら、神の臨在と栄光が去ることはありません。
「三重革命の霊性」/ハン・ギチェ
ところが、心の中に声が聞こえてきました。「本当に聴衆はいないのか。」「いません。」「わたしにはあなたが見えるのに、あなたにはわたしが見えないのか。」それは神の御声でした。その後、私が残りの講義の撮影を、情熱と誠意を傾けて臨んだことは、言うまでもありません。
いつも大いなる聴衆である神が、私たちの前におられます。今私たちは、主の前で生きているのです。カルヴィンはこれを「コラム・デオ(Coram Deo)」と表現しました。このような臨在意識を持っていた人はヨセフです。ポティファルの妻が、誰も見ていないから私と寝てくれと誘惑したとき、ヨセフは「どうして、そのような大きな悪事をして、私は神に罪を犯すことができましょうか。」と反論しました。神の臨在意識、コラム・デオ意識を持って生きるなら、神の臨在と栄光が去ることはありません。
「三重革命の霊性」/ハン・ギチェ
<偶像作り>
罪人は偶像を造ります。偶像はコントロールができるからです。偶像は人が造ったものなので、ひとまずわかりやすいという点があります。
偶像は、人の中にある欲望があふれ出たものです。ギリシャ神話の中に、理解できない神がいるでしょうか。ゼウスはわかりやすい神です。また、女性はみなビーナスのようになりたがるのではないでしょうか。ビーナスは肉感的な女性ですから、ビーナスを崇めることは情欲を満たしていることになるのです。また酒の神バッカスも人気があります。バッカスを崇めるために酒を飲んだりもします。巫女のところに行って願掛けをするとよくわかります。巫女が言うことは自分の心と非常に一致します。すべての偶像は、人間の心と一致するのです。それは人間が造ったものだからです。それが、人間が偶像を造る理由です。
私たちには偶像を礼拝しようとする心があります。常に楽をしようとするのは偶像を礼拝する心です。それは偶像礼拝であり、罪の性質です。
私たちが神の御前で全き者として立つ方法は何でしょうか。足りなければ足りないままで生きることです。マルティン・ルターは、みことば通りに生きようと努力しましたが、それは不可能であるということを悟りました。ルターが最後に悟ったことは、「義人は信仰によって生きる」(ローマ1:17)というみことばでした。ルターは、イエス様と十字架に対する信仰が重要であり、それが自分自身を生かすということを悟り、立ち上がることができました。これがまことの信仰です。
「生命力」/チョン・ビョンウク
偶像は、人の中にある欲望があふれ出たものです。ギリシャ神話の中に、理解できない神がいるでしょうか。ゼウスはわかりやすい神です。また、女性はみなビーナスのようになりたがるのではないでしょうか。ビーナスは肉感的な女性ですから、ビーナスを崇めることは情欲を満たしていることになるのです。また酒の神バッカスも人気があります。バッカスを崇めるために酒を飲んだりもします。巫女のところに行って願掛けをするとよくわかります。巫女が言うことは自分の心と非常に一致します。すべての偶像は、人間の心と一致するのです。それは人間が造ったものだからです。それが、人間が偶像を造る理由です。
私たちには偶像を礼拝しようとする心があります。常に楽をしようとするのは偶像を礼拝する心です。それは偶像礼拝であり、罪の性質です。
私たちが神の御前で全き者として立つ方法は何でしょうか。足りなければ足りないままで生きることです。マルティン・ルターは、みことば通りに生きようと努力しましたが、それは不可能であるということを悟りました。ルターが最後に悟ったことは、「義人は信仰によって生きる」(ローマ1:17)というみことばでした。ルターは、イエス様と十字架に対する信仰が重要であり、それが自分自身を生かすということを悟り、立ち上がることができました。これがまことの信仰です。
「生命力」/チョン・ビョンウク
図書館
今年はいろいろ忙しくて、心身共に疲れを覚える春を過ごしています。でも神様の恵みと祝福は、疲れの10000倍以上!ですけれどね♪そうして神様から守られ、支えられ、助けられているからこそ、こうして生きていられるんだなぁと実感します。
そんな神様の恵みの一つは図書館。
ちょっと前の話になりますが、Jが春休みの課題図書リストからどの本を読むか選ぶのに、まず図書館に行ってリストにある本を実際に見て、それから選びたいというので、一緒に市立図書館に行ってきました。
図書館の場所はわかっていたし、ここに引っ越してきてから今年で6年になるのに、体力、気力が伴わず、図書館に行ったのはこれが初めてでした。(ちなみに、以前所沢に住んでいた頃は、まだ3−4歳だったJと一緒に、毎週図書館に通っていました。でも病気になって動くのがおっくうになり、教会の仕事や学び、Kevinの手伝いで頭が文字いっぱいで飽和状態だった為、自分の中でバランス取るには、「本」より「音楽」だったんですよね〜。)
ちょっと緊張しながら行ってみたら、図書館の前にある公園の木々に癒され、中に入ってみたら、もともと「本大好き」だった自分を再認識、再発見した感じでした。「うわぁ〜、こんなに本がいっぱい!」って、わくわくドキドキして、次々に本棚の本を目で追っている自分にびっくり。
Jの課題図書リストにある本も全部そろって、一通り中を見て、Jが「じゃあ、これにする」と決めるまでには、私の手の中にも本が2冊。二人で図書カードを作ってもらって、いい気分で家に帰りました。以来、時々図書館行っては次々に本を借りて、久々に自分の為の読書を楽しんでいます。もちろん、「音楽」の方もバイオリンやピアノのレッスンで四苦八苦しながら、それでも楽しくて嬉しくて心満たされていますよ♪
気候の良い時にぜひやってみたいのは、図書館の前の公園で、持参のコーヒーを飲み、i-podで音楽を聴きながら、木々に囲まれて本を読むこと。今、大好きなハナミズキが見事なんですよね〜。でもなかなか時間とエネルギーがそろわない上、この天候不順ではねぇ…。早く実現するといいなぁ。
そんな神様の恵みの一つは図書館。
ちょっと前の話になりますが、Jが春休みの課題図書リストからどの本を読むか選ぶのに、まず図書館に行ってリストにある本を実際に見て、それから選びたいというので、一緒に市立図書館に行ってきました。
図書館の場所はわかっていたし、ここに引っ越してきてから今年で6年になるのに、体力、気力が伴わず、図書館に行ったのはこれが初めてでした。(ちなみに、以前所沢に住んでいた頃は、まだ3−4歳だったJと一緒に、毎週図書館に通っていました。でも病気になって動くのがおっくうになり、教会の仕事や学び、Kevinの手伝いで頭が文字いっぱいで飽和状態だった為、自分の中でバランス取るには、「本」より「音楽」だったんですよね〜。)
ちょっと緊張しながら行ってみたら、図書館の前にある公園の木々に癒され、中に入ってみたら、もともと「本大好き」だった自分を再認識、再発見した感じでした。「うわぁ〜、こんなに本がいっぱい!」って、わくわくドキドキして、次々に本棚の本を目で追っている自分にびっくり。
Jの課題図書リストにある本も全部そろって、一通り中を見て、Jが「じゃあ、これにする」と決めるまでには、私の手の中にも本が2冊。二人で図書カードを作ってもらって、いい気分で家に帰りました。以来、時々図書館行っては次々に本を借りて、久々に自分の為の読書を楽しんでいます。もちろん、「音楽」の方もバイオリンやピアノのレッスンで四苦八苦しながら、それでも楽しくて嬉しくて心満たされていますよ♪
気候の良い時にぜひやってみたいのは、図書館の前の公園で、持参のコーヒーを飲み、i-podで音楽を聴きながら、木々に囲まれて本を読むこと。今、大好きなハナミズキが見事なんですよね〜。でもなかなか時間とエネルギーがそろわない上、この天候不順ではねぇ…。早く実現するといいなぁ。
Wednesday, March 24, 2010
Mちゃんお誕生日とバイオリンのレッスン
今日は、私の幼なじみで、信仰の友で、ある意味お姉さん、またはふたごのようにして一緒に育った、大事な大好きなMちゃんのお誕生日。おめでとう!そしてありがとう!いつも仲良しでいてくれて、私を大事に思ってくれて、祈り励ましてくれるMちゃんを与えてくださったイエス様に感謝です。
さて、イースターに特別賛美でバイオリンを弾く予定の、「主よ、人の望みの喜びよ」の第2バイオリンのパートを、レッスンの時に先生にみていただきました。まぁ、課題は満載…(-_-;) わかっていたことだけど、いろいろ教えていただいてなおさら身にしみました。。。第1バイオリンよりも、第2バイオリンの方がよっぽど力量がいる、ということも、わかっていたけど改めて痛感し…。やれやれ。
でも!やっぱりバイオリンは楽しい!そして第1バイオリンよりも、第2バイオリンの方がわくわくします。先生はビオラ奏者なので、私の思いにすごく共感してくださって、第2バイオリンならではの注意点や弾き方、音の出し方、そして醍醐味をあつく語りつつ、丁寧にレッスンしてくださいました。
家では、伴奏部分をクラビノーバで弾いて録音し、それに合わせて練習しています。今日のレッスンでは、先生が第1バイオリンを弾いてくださったので、バイオリンの音が2つになるとこういう響きになるんだ〜ということがよくわかりました。そして最初の方はしどろもどろだったのが、だんだんわくわくしてきて、「いい感じになってきましたね〜。」と言っていただいてレッスンを終えることができました。
一人で弾いても楽しいし嬉しいけれど、誰かと一緒に演奏することの豊かさを実感しました。ピアノを弾いている時も、いつもそう思っていたけれど、バイオリンを弾いて誰かと合わせる楽しさに、ますます幸せいっぱい♡こういう嬉しい思い、感謝な思いをもって、大好きなイエス様のよみがえりを感謝し、十字架の勝利を喜び祝う賛美ができるといいな…。。。
さて、イースターに特別賛美でバイオリンを弾く予定の、「主よ、人の望みの喜びよ」の第2バイオリンのパートを、レッスンの時に先生にみていただきました。まぁ、課題は満載…(-_-;) わかっていたことだけど、いろいろ教えていただいてなおさら身にしみました。。。第1バイオリンよりも、第2バイオリンの方がよっぽど力量がいる、ということも、わかっていたけど改めて痛感し…。やれやれ。
でも!やっぱりバイオリンは楽しい!そして第1バイオリンよりも、第2バイオリンの方がわくわくします。先生はビオラ奏者なので、私の思いにすごく共感してくださって、第2バイオリンならではの注意点や弾き方、音の出し方、そして醍醐味をあつく語りつつ、丁寧にレッスンしてくださいました。
家では、伴奏部分をクラビノーバで弾いて録音し、それに合わせて練習しています。今日のレッスンでは、先生が第1バイオリンを弾いてくださったので、バイオリンの音が2つになるとこういう響きになるんだ〜ということがよくわかりました。そして最初の方はしどろもどろだったのが、だんだんわくわくしてきて、「いい感じになってきましたね〜。」と言っていただいてレッスンを終えることができました。
一人で弾いても楽しいし嬉しいけれど、誰かと一緒に演奏することの豊かさを実感しました。ピアノを弾いている時も、いつもそう思っていたけれど、バイオリンを弾いて誰かと合わせる楽しさに、ますます幸せいっぱい♡こういう嬉しい思い、感謝な思いをもって、大好きなイエス様のよみがえりを感謝し、十字架の勝利を喜び祝う賛美ができるといいな…。。。
Monday, March 22, 2010
あっと言う間に…
3月も下旬になりますね。いやいや、忙しいやら、疲れがとれずに体調も良くないやら、計画や話し合いが多いやら…で目の回るような3月です。そんなわけで、ブログ更新もできませんでした。時々爆発しつつ、神様の恵みと憐れみに守られて過ごしています。
あちこち思い出しながら近況報告。。。
3/7の礼拝後、午後3時より、近隣の教会の方々、牧師先生達をお迎えして、K牧師ご夫妻の就任式&感謝会をしました。司式は、いつもいつもお世話になっているM牧師。就任式では私が奏楽しましたが、疲れてすごく調子悪かったのに、気心知れているM先生の司式の奏楽はやりやすいな〜としみじみ思いました。M先生の奥さん、お子さんにも1年ちょっとぶりの再会で、短い時間でしたがいろいろ話せて楽しかったです。そして、これからの教会の歩み、K牧師夫妻の働きが祝され、神様の喜ばれる教会へと成長していけるよう、また神様が用いやすい教会となれるようにと、祈る思いが新たにされました。
3/19-22は、ANRCという、帰国者ミニストリーの修養会が埼玉でありました。牧師ご夫妻、Kevin、そして教会メンバーも何人か参加。私とJは行きませんでしたが、私は祈りによってこの会の働きに関わっていこうと思い、送られてくる祈祷課題にそって毎日祈ることができました。良い交わり、学び、神様からの励ましと気づき、そして新しいチャレンジやビジョンがそれぞれに与えられ、実際の働きにつながっていくように、これからも覚えて祈っていきたいと思います。
Jは3/19で今年度終了。いろいろ大変な1年でしたが、よくがんばりました。学校の反省会で、「すごく大変だったけど、いろんなことが少しずつわかってきた。」とのコメントを言ったそうで、先生が喜んでいました。春休みの間もホームスクール形式で、一人で課題は進めていくのですが、少しずつ家の手伝いの内容も変え、いろんなことを教えていけるといいな〜と思います。(早速今日は、家中のゴミ出しと、自分のベッドのシーツ取り替え、などなどをやってもらいました。)
3/20は、弟一家が遊びに来てくれました。甥達は、Jと久しぶりに遊んで楽しそうだったし、私は弟、義妹のTちゃん、姪のCちゃんといろいろ話したり、良い時間が持てました。やっぱり家族との交わりの時は宝です。
4/4はイースターですが、ほめ上手なK牧師の励ましにのせられて(?)、なんと礼拝の特別賛美でバイオリンを弾くことになりました。教会にはバイオリンの上手なJ兄がいて、彼が第1バイオリン、私が第2バイオリン、教会のK姉がピアノ伴奏で、バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」を弾きます。曲自体はそんなに難しくはないけれど、一人で勝手に弾くのとちがい、合わせて弾くには音程もしっかりしないとだめだし、今の私にはかなりなプレッシャー(>_<) 体調も守られ、神様の耳に喜ばしい音と音程で、賛美できるようにお祈りください。
イースターへの良い備えができますように!
あちこち思い出しながら近況報告。。。
3/7の礼拝後、午後3時より、近隣の教会の方々、牧師先生達をお迎えして、K牧師ご夫妻の就任式&感謝会をしました。司式は、いつもいつもお世話になっているM牧師。就任式では私が奏楽しましたが、疲れてすごく調子悪かったのに、気心知れているM先生の司式の奏楽はやりやすいな〜としみじみ思いました。M先生の奥さん、お子さんにも1年ちょっとぶりの再会で、短い時間でしたがいろいろ話せて楽しかったです。そして、これからの教会の歩み、K牧師夫妻の働きが祝され、神様の喜ばれる教会へと成長していけるよう、また神様が用いやすい教会となれるようにと、祈る思いが新たにされました。
3/19-22は、ANRCという、帰国者ミニストリーの修養会が埼玉でありました。牧師ご夫妻、Kevin、そして教会メンバーも何人か参加。私とJは行きませんでしたが、私は祈りによってこの会の働きに関わっていこうと思い、送られてくる祈祷課題にそって毎日祈ることができました。良い交わり、学び、神様からの励ましと気づき、そして新しいチャレンジやビジョンがそれぞれに与えられ、実際の働きにつながっていくように、これからも覚えて祈っていきたいと思います。
Jは3/19で今年度終了。いろいろ大変な1年でしたが、よくがんばりました。学校の反省会で、「すごく大変だったけど、いろんなことが少しずつわかってきた。」とのコメントを言ったそうで、先生が喜んでいました。春休みの間もホームスクール形式で、一人で課題は進めていくのですが、少しずつ家の手伝いの内容も変え、いろんなことを教えていけるといいな〜と思います。(早速今日は、家中のゴミ出しと、自分のベッドのシーツ取り替え、などなどをやってもらいました。)
3/20は、弟一家が遊びに来てくれました。甥達は、Jと久しぶりに遊んで楽しそうだったし、私は弟、義妹のTちゃん、姪のCちゃんといろいろ話したり、良い時間が持てました。やっぱり家族との交わりの時は宝です。
4/4はイースターですが、ほめ上手なK牧師の励ましにのせられて(?)、なんと礼拝の特別賛美でバイオリンを弾くことになりました。教会にはバイオリンの上手なJ兄がいて、彼が第1バイオリン、私が第2バイオリン、教会のK姉がピアノ伴奏で、バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」を弾きます。曲自体はそんなに難しくはないけれど、一人で勝手に弾くのとちがい、合わせて弾くには音程もしっかりしないとだめだし、今の私にはかなりなプレッシャー(>_<) 体調も守られ、神様の耳に喜ばしい音と音程で、賛美できるようにお祈りください。
イースターへの良い備えができますように!
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