イエス様に完全により頼むのが難しい理由の1つは、これからのことがわからないからです。しかし、万が一、神が細かいところまですべて記した契約書を差し出すなら、私たちの中の何人かは、すぐさま信頼するでしょう。そして、これからどのようなことが起こるのかを理解するのです。「このことは私に、どのような犠牲を求めるのか。神は、私がどこに行くことを期待されるのか。神は、私が何をすることを臨まれるのか。」このように、私たちは前もって1つ1つ読んで、考えた後で決めることができるように求めます。
しかし、これは神のやり方ではありません。神はこのように語られます。「ここに白紙がある。一番下にサインした後で提出するように。そうしたら、あとの細かいところは、わたしがすべて補う。なぜならわたしが神だからだ。わたしがあなたを買ったのだ。わたしは信じられる存在だからだ。わたしがあなたをどれほど愛しているかは、あなたが知っているからだ。あなたは自分が高められる楽しみの為に生きるのではなく、わたしの栄光の為に生きるように造られた存在だからだ。」
私たちは、この世で尊いと思うものや、必ず必要だと思うものを失うかもしれません。しかし、実際には何も失うものはないのです。なぜなら神は、完全に信頼できるお方だからです。ですから、私たちが同意するならば、神は私たちの人生の細かいところを、ご自分の知恵と主権による計画で、また誠実と愛という計画で満たしてくださるのです。
「神が治められる意志、ゆだねる」:ナンシー・リー・ディモス
Friday, May 30, 2008
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