Monday, December 29, 2008

クリスマスに思ったこと

21日に、無事クリスマス礼拝も終わり、25日のクリスマスは、家族でしずか〜にゆっくりと、家で過ごしました。Jは、あちこち出かけたいようでしたが、今年はとにかく、4月から8月までの一時帰国でアメリカ中を移動しまくり、日本に戻ってからも、ほぼノンストップで走り続けてきたので、「家でゆっくりすごそうよ…。」と言う事に。

クリスマスの朝、ちょっと早起きして、イエス様と二人の「コーヒータイム」を楽しみながら、ゆっくりと聖書を読み、いろんなことを思いめぐらし、一人静かに祈る時間を持ちました。

今年のクリスマスには、特にエリサベツとマリヤ、そしてサムエルのお母さん、ハンナのことを思わされました。

どうしても、聖書が書かれた当時の社会状況、習慣、生活環境、そして書かれた言葉の陰にある人の心まで読み込むことって、なかなかできることじゃないなぁと思います。だから、聖書の字面だけ読んで、その内容は把握できても、深いところまで読み込むことが難しい…。だからこそ祈りつつ、神様に教えられながら聖書を読むことが必要です。でも、聖書を読み続けて嬉しいことは、年をとるごとに、いろんな経験をするごとに、いろんな思いや状況を通るごとに、新しいことを教えられていくことです。今年のクリスマス、神様は私に、いろんなことを通して、エリサベツとマリヤ、そしてハンナのことを、今まで思いもしなかった面から、いろいろと示し、教えてくださいました。

聖霊によってみごもったマリヤの置かれた状況は、一体どんなものだったのでしょうか。ヨセフが、御使いが告げ知らせてくれたことによって、信仰をもってマリヤを妻として迎え、生まれてくるイエス様を愛し育てる決心をしたことは、マリヤにとって、どんなに嬉しく、心強いことだったでしょう。でも、このことは、一体いつ起こったのかしら、マリヤはなぜ、エリサベツのところに行って、3ヶ月も一緒に過ごしたんだろう…。マリヤがいろいろと大変だったことは、うっすらとわかっていたつもりでしたが、いろんなことを思いめぐらす中で、マリヤの置かれた状況の厳しさ、辛さ、大変さに、今までよりも、もっと心と思いが向いていきました。

書いてまとめるには、まだまだ表現しきれないのですが、マリヤの状況に思いが向いた時、本当に、神様の憐れみ深さ、愛の厳しさと深さ、慈しみにあふれた恵みが迫ってきました。エリサベツやハンナの存在を通して、それに気づかされたのです。

エリサベツとマリヤの麗しい関係。先に神様によって大いなる恵みをいただき、ヨハネを宿していたエリサベツが、マリヤのあいさつを聞いた時、おなかの中でヨハネが喜んで踊りました。それにインスピレーションを受けたエリサベツは、マリヤに「私の主の母が、私のところに来られるとは…。」と、その信仰を告白し、マリヤのすべてを受け入れ、主のなさったみわざを共に喜びました。

それに続く「マリヤの賛歌」は、とても有名ですが、この内容は、旧約聖書で先に書かれている「ハンナの祈り」に通じる内容になっています。マリヤの信仰と主への愛、信頼、そして神様の約束に対してマリヤが持っていた期待のすばらしさ。そこに感じた感動を、私はここに書くことができません。

「神様は、世に偉大な人物を送り出す時には、必ずその母となる人を訓練する」と、むか〜し、何かで読んだことがあり、ずっと心にとめていました。それを、このクリスマスにまた思い出しました。マリヤの賛歌が、ハンナの祈りと通じるものであることは、ずっと前から学んで知っていました。そして、あまりそのことをよく考えたことはなく、「神様の霊感に満たされたから、そういう内容に導かれたんだろう」と思っていました。そして、もちろん、その通りだと思います。

でも今回、他の資料やメッセージなどを合わせ読む中で、マリヤがどんなに旧約聖書に精通していたのか、みことばをしっかりと心に蓄えて育った人であるかに気づきました。ユダヤ人の家庭では、子ども達に、「擦り込むように」聖書を教えるそうです。マリヤもきっと、生まれ育った家庭の中で、徹底してみことばを教えられたのでしょう。それ以上に、彼女には、教えられたみことばを、自分の信仰によって消化し、心にたくわえることのできる、主への確かな信仰と愛がありました。クリスマスの記事の後に2度も、ルカは「マリヤはこれらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。」と記録しています。これはずっと、子どもの頃から、私がマリヤに憧れている理由の1つでもあります。

旧約聖書に書かれたみことばをよく学び、信仰によって受けとめ、思いめぐらす信仰を持っていたマリヤだからこそ、天使に突然、「あなたは聖霊によってみごもり、生まれる子は聖なる者、神の子とよばれる。」と言われた時、神様のみわざを驚き疑うことなく、それをそのまま受け入れることができたのです。神様は、救い主を送ってくださると、創世記のはじめから約束してくださっている、それが今、自分を通して成就しようとしている…そのことに対する驚きととまどい、また恐れはあったことでしょう。でも、彼女は、神様の力を疑いませんでした。だからこそ、「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」と、みことばをそのまま受け止め、主にすべてをゆだねることができました。

その後、マリヤは、遠く離れたエリサベツの所を訪ねました。そこでエリサベツのあいさつを聞き、エリサベツのおなかで、赤ちゃんヨハネが喜び踊ったことを聞いた時に、マリヤのささげた賛美の祈り。それは、それまでにしっかりとマリヤの心に蓄えられ、何度も何度も反芻しながら、その深い意味を味わったであろう、母ハンナの祈りに通じるものになったのでしょう…。私は、そのことに気づいた時、生ける神のみことばの力に圧倒されました。

もっともっと、みことばを読んで味わい、心にしっかりと蓄え、思いをめぐらしていきたい、Jにも、教会の子ども達にも、みことばの恵み、みことばを味わう喜び、みことばを蓄える大切さ、そして日がな思いめぐらすことのすばらしさを教え、みんなと分かち合っていきたい、神様、みことばをください!と祈らずにいられませんでした。

たっぷりとイエス様と交わり、恵みに満たされ、神様からすばらしいプレゼントをいただきました。私はイエス様に何をさしあげられるかなぁ〜と思っていたら、「かおりと二人のコーヒータイム、嬉しかったよ。これからも楽しみにしているよ!」と、にっこりほほえんだイエス様から、優しく言っていただいたように感じました。嬉しい嬉しいクリスマスの朝でした。

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