私は運転免許の試験を受けたある地域で、次のようなバンパーステッカーをもらいました。「安全運転!あなたが救う命は、まさにあなたの命です。」この警告には、人間の純粋な考えが表されています。しかし、イエスは正反対の原理を教えられました。「自分のいのちを救おうとするなら、それを失わなければならない。」恐ろしさや怖さを感じてうずくまり、拳を握り締め、自分を守り、保護しようとする人生は、私達や他の誰にも、また何より神とその御国にとっても、何の意味もないもので終わってしまいます。イエスが歩まれた人生は、それを知らない見物人には愚かなものにしか見えないでしょう。その方は、お金、家、車もなく、制度的な支援も受けることができませんでした。その方の友人達は頼れる対象ではなく、その方の死はスキャンダル、すなわちこの世を永遠に変えてしまったスキャンダルでした。
未来に対する私達の心配の崖っぷちには、私達を新しい別の次元の信仰へと呼ばれる神がおられます。神の導きの為に祈り、私達が見える地点の終わりを歩いて行く時、息を殺して未知の領域に第一歩を踏み出す時、私達は次の二つのうちの一つがあることを信じなければなりません。神は私達が降りていって立つことのできる岩のような堅固なものをくださるか、もしくは私達に、飛ぶ方法を教えてくださるかです。
「私の魂のバンジージャンプ」/ルーシー・ショー
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<一節の黙想>マルコ8:34-35/エリザベス・エリオット
十字架を負うということは、犠牲と損を前提とします。イエスは真のいのちを得たいなら、自分のいのちを捨てなさいと言われました。先になりたいなら後になり、仕えられたいなら仕える人になりなさいと言われました。一粒の麦が地に落ちて死ななければ一粒のままで、実を結ぶことができないと言われました。私達が絶対に忘れてはならないことは、イエス様はその道を、私達より先に歩まれたということです。
Saturday, June 20, 2009
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