造花は偽物の花です。しかし、造花は生花よりずっと派手で誘惑的です。本物より本物のように見えるのに、偽物です。造花が生花よりきらびやかで美しく見える理由が、そこにあります。造花には香りがありません。香りはいのちあるものの、密かな自己表現だからです。香りはそれらを生き生きとさせ、まばゆい生命力を存分に謳歌する者たちの持つものです。
ところが香りは、香りを放つ場所を選んだり、制限したりはしません。気に入らない人には香りを放たない、ということはありません。このことは、私たちが人や場所を選ぶことなく、香りを放つべきであることを意味します。ちょうど太陽の光が、良い人にも悪い人にも分け隔てなく照らすのと同じようなものです。
しかし私たちは、誰にでも同じように香りを放ちたくない、という誘惑にかられる時があります。もちろん自分を非難し、そしる人に香りを放つことは、決してやさしいことではありません。
しかし、香りの木は、自分を切り落とす斧の刃にさえ香りを放ちます。それは困難なことです。しかし、困難を乗り越えることこそが、香りを放つ美しさです。聖書は、私たちがキリストの香りを放つべきであると語っています。もし、私たちが香りの木のように、自分を切り落とす斧の刃にさえ香りを放ち、その凶器を香りに変えることができるなら、その小さな香りが広がったこの世は、どれほど美しいことでしょう。また、どれほどよい香りになることでしょう。
「香り高き世」/イ・スンウ
Wednesday, July 15, 2009
Sunday, July 12, 2009
<真理が聞こえない人>
20世紀の最高の知識人といえば、おそらくイギリスのバートランド・ラッセルを挙げることができます。ラッセルは幼い頃から、非常に賢い子どもでした。教会に通っていた彼は、その高い知能で聖書をたくさん読みました。そして、牧師達よりも聖書についてよく知っていると思うようになりました。彼は、自分の知識でたくさんの牧師たちを負かし、彼らの貧しい聖書知識をばかにしたりしました。ラッセルが、その広い知識を生かして書いた本のタイトルは何でしょうか。「私がクリスチャンでない理由」です。聖書を根拠として、キリスト教の虚構性を痛烈に批判する内容です。ラッセルは、聖書に関する豊富な知識によって、かえってイエスを信じることなく傲慢になり、キリスト教をばかにするようになったのです。
私たちは、みことばを読むと明らかに変わります。しかし、なぜラッセルは変わらず、むしろその知識の為に、イエスを救い主と信じなかったのでしょうか。
理解しがたいところです。悩んだ末に出たこたえは、「黙想」でした。
ラッセルは、聖書を情報や知識として知っていただけで、黙想はしませんでした。どんなにたくさん読んでも、黙想のないみことばは、1人の人を変えることはできません。黙想しなければ、みことばを知っていることが、かえって霊的な妨げになります。知識としてのみことばと、黙想したみことばはまったく違います。その為に、ラッセルの人生は、このような結果になってしまったのです。
「みことばとともに、主とともに」/ユ・ジンソ
私たちは、みことばを読むと明らかに変わります。しかし、なぜラッセルは変わらず、むしろその知識の為に、イエスを救い主と信じなかったのでしょうか。
理解しがたいところです。悩んだ末に出たこたえは、「黙想」でした。
ラッセルは、聖書を情報や知識として知っていただけで、黙想はしませんでした。どんなにたくさん読んでも、黙想のないみことばは、1人の人を変えることはできません。黙想しなければ、みことばを知っていることが、かえって霊的な妨げになります。知識としてのみことばと、黙想したみことばはまったく違います。その為に、ラッセルの人生は、このような結果になってしまったのです。
「みことばとともに、主とともに」/ユ・ジンソ
Wednesday, July 1, 2009
<後ろ盾になってくださる主>
私たちを造ってくださった主よ
あなたはこの世のどの父親よりも強い方です。
私たちの住むこの世は、コネや人脈などがなければ
まるで雨に打たれる落ち葉のようです。
しかし、天の父なる神様、
この地を造られ、すべてのすべてであられる方が
私たちの手を握ってくださるため、堂々としていられます。
私たちは萎縮しなくてもいいのです。
そして、私たちは何でもやってみることができるのです。
主よ、あなたは私たちの後ろで影のように臨在してくださり、
御霊によって行く道を導き、
私たちの痛みをさすってくださる方であるため、
私たちはつまずいても、すぐ立ち上がり、
理不尽な目にあっても
毅然としていることができます。
王の王であられる主よ。
私たちの後ろ盾になってくださり感謝します。
主が私の父となってくださり
心強いです。
いつでも、どこでも…。
「今のままを感謝します」/パク・ギョンヒ
あなたはこの世のどの父親よりも強い方です。
私たちの住むこの世は、コネや人脈などがなければ
まるで雨に打たれる落ち葉のようです。
しかし、天の父なる神様、
この地を造られ、すべてのすべてであられる方が
私たちの手を握ってくださるため、堂々としていられます。
私たちは萎縮しなくてもいいのです。
そして、私たちは何でもやってみることができるのです。
主よ、あなたは私たちの後ろで影のように臨在してくださり、
御霊によって行く道を導き、
私たちの痛みをさすってくださる方であるため、
私たちはつまずいても、すぐ立ち上がり、
理不尽な目にあっても
毅然としていることができます。
王の王であられる主よ。
私たちの後ろ盾になってくださり感謝します。
主が私の父となってくださり
心強いです。
いつでも、どこでも…。
「今のままを感謝します」/パク・ギョンヒ
Saturday, June 20, 2009
<崖っぷちに立つ冒険>
私は運転免許の試験を受けたある地域で、次のようなバンパーステッカーをもらいました。「安全運転!あなたが救う命は、まさにあなたの命です。」この警告には、人間の純粋な考えが表されています。しかし、イエスは正反対の原理を教えられました。「自分のいのちを救おうとするなら、それを失わなければならない。」恐ろしさや怖さを感じてうずくまり、拳を握り締め、自分を守り、保護しようとする人生は、私達や他の誰にも、また何より神とその御国にとっても、何の意味もないもので終わってしまいます。イエスが歩まれた人生は、それを知らない見物人には愚かなものにしか見えないでしょう。その方は、お金、家、車もなく、制度的な支援も受けることができませんでした。その方の友人達は頼れる対象ではなく、その方の死はスキャンダル、すなわちこの世を永遠に変えてしまったスキャンダルでした。
未来に対する私達の心配の崖っぷちには、私達を新しい別の次元の信仰へと呼ばれる神がおられます。神の導きの為に祈り、私達が見える地点の終わりを歩いて行く時、息を殺して未知の領域に第一歩を踏み出す時、私達は次の二つのうちの一つがあることを信じなければなりません。神は私達が降りていって立つことのできる岩のような堅固なものをくださるか、もしくは私達に、飛ぶ方法を教えてくださるかです。
「私の魂のバンジージャンプ」/ルーシー・ショー
・・・・・・・
<一節の黙想>マルコ8:34-35/エリザベス・エリオット
十字架を負うということは、犠牲と損を前提とします。イエスは真のいのちを得たいなら、自分のいのちを捨てなさいと言われました。先になりたいなら後になり、仕えられたいなら仕える人になりなさいと言われました。一粒の麦が地に落ちて死ななければ一粒のままで、実を結ぶことができないと言われました。私達が絶対に忘れてはならないことは、イエス様はその道を、私達より先に歩まれたということです。
未来に対する私達の心配の崖っぷちには、私達を新しい別の次元の信仰へと呼ばれる神がおられます。神の導きの為に祈り、私達が見える地点の終わりを歩いて行く時、息を殺して未知の領域に第一歩を踏み出す時、私達は次の二つのうちの一つがあることを信じなければなりません。神は私達が降りていって立つことのできる岩のような堅固なものをくださるか、もしくは私達に、飛ぶ方法を教えてくださるかです。
「私の魂のバンジージャンプ」/ルーシー・ショー
・・・・・・・
<一節の黙想>マルコ8:34-35/エリザベス・エリオット
十字架を負うということは、犠牲と損を前提とします。イエスは真のいのちを得たいなら、自分のいのちを捨てなさいと言われました。先になりたいなら後になり、仕えられたいなら仕える人になりなさいと言われました。一粒の麦が地に落ちて死ななければ一粒のままで、実を結ぶことができないと言われました。私達が絶対に忘れてはならないことは、イエス様はその道を、私達より先に歩まれたということです。
Wednesday, June 10, 2009
かる〜く、楽しく♪
今日は、3週間ぶりに、風邪でお休みしていたバイオリンのレッスンに行くことができました。行く前までは体力的にちょっと心配だったのですが、バイオリン担いで自転車をまったりとこいでいるうちに、血行も良くなってきたのか、体も心も上向きになっていきました。いつも受付のところで事務をしている、ピアノの方のクラスの先生に、「しばらくぶりでしたね〜。大丈夫ですか?」と声をかけていただいて、それもなんだか嬉しく、バイオリンの先生とも久々の再会を喜んで?いい気分でレッスンを始めることができました。
最初の音階練習はまずまずでしたが、曲になった時、バイオリンの持ち方がちょっとずれていて、持ちにくいのをなんとか持ちこたえて弾いたところが、体も音もガチガチ。ものすご〜く固い音になってしまいました。
先生に、「そんなに固くならないで、かる〜く、楽しげに、踊りながら弾く感じで弾いてみてください。なんなら、この部屋の中を自由に動きまわってもいいですから。」と言われ…。
う〜ん。先生の言いたいことはわかるけど、動き回ろうとしたら、絶対バイオリンも弾けない…(-"-;)
ということで、動き回りながらバイオリンを弾くような、高度な技術を要することは御免していただき(?)、でも自分の中で「かる〜く、楽しく、きれいな音で」と思って、そんなイメージでバイオリンを弾いてみました。
そしたら驚いたことに、ワンフレーズ弾いたところで、先生に猛烈に拍手してもらっちゃいました!「すごい!今の音、全然違ったじゃないですか〜。とってもきれいな音でしたよ〜!すごい!」と。
ほめられてびっくりして、でもなんとなく感じがつかめたので、もう一度最初から弾き直して一通り弾きました。そして花丸〜♪ やった〜!p(^^)q いい気分で、一曲仕上げることができました(*^_^*) あまりにもヘタクソで、ほとんどあきらめていた曲だっただけに、こんなにいい気持ちで仕上げることができて、嬉しさもひとしおでしたヽ(^0^)ノ
弓の持ち方、バイオリンの持ち方、指の動かし方、自分の中でしっくりくる方法をさぐり、同時に自分のくせでなく自然に正しい方法を学び…と試行錯誤のトンネルに入り込んでいましたが、前回のレッスンの時、先生に「私も最近、もう一度弓の持ち方をさぐっているんです。」と言われて、やっぱりそういうものなんだなぁと思ったら、なんとなく気持ちが楽になりました。そして、そういえば私も、ピアノの弾き方を最近さぐっていることに気づき、そういうプロセスを経験して、続けていくことの大切さを実感しました。悩みは続くけど、発見も続いて、それが楽しくて満たされるから、私でもやめないで続けていられるんだよなぁ…なんて思ったりして。
そんな中、今日の「かる〜く、楽しく、きれいな音で」は、すごく大きな出来事でした。「そうだ、『きれいな音』の為に工夫や訓練や学びが必要なのであって、枠にはまっていつでも同じ!っていうのでなくていいんだ。そりゃそうだよね。そしてリキんで固くならないように、力をぬいてリラックスして楽しんで…って、そっちの方にもっと心を向けていいんだな…。」と改めて、ある意味初めて思いました。
そういえばTCC時代、ピアノでスランプに落ち込んでいた時、先輩のMちゃんに同じことぼやいたことがあったなぁ。なんか、20年もたって、ようやく答えが見えてきたような気がしました。曲がりなりにも続けていると、それなりに学び、感じ、思い、考え、深められていくものだなぁと思います。「継続は力なり」って、昔の人はよく言ったものですね。
抽象的で、あまりよくわからないかもしれませんが、私にしてみたら、なんだか記念すべき瞬間というか、出来事だったので、忘れないように書いておこうと思いました。イエス様によって心満たされた時に感じる、しあわせ〜♪な思いでいっぱいです。きれいな音でイエス様に賛美をささげることを目指して、これからもピアノやバイオリンのレッスンを、「かる〜く楽しく」励んでいきたいです。
最初の音階練習はまずまずでしたが、曲になった時、バイオリンの持ち方がちょっとずれていて、持ちにくいのをなんとか持ちこたえて弾いたところが、体も音もガチガチ。ものすご〜く固い音になってしまいました。
先生に、「そんなに固くならないで、かる〜く、楽しげに、踊りながら弾く感じで弾いてみてください。なんなら、この部屋の中を自由に動きまわってもいいですから。」と言われ…。
う〜ん。先生の言いたいことはわかるけど、動き回ろうとしたら、絶対バイオリンも弾けない…(-"-;)
ということで、動き回りながらバイオリンを弾くような、高度な技術を要することは御免していただき(?)、でも自分の中で「かる〜く、楽しく、きれいな音で」と思って、そんなイメージでバイオリンを弾いてみました。
そしたら驚いたことに、ワンフレーズ弾いたところで、先生に猛烈に拍手してもらっちゃいました!「すごい!今の音、全然違ったじゃないですか〜。とってもきれいな音でしたよ〜!すごい!」と。
ほめられてびっくりして、でもなんとなく感じがつかめたので、もう一度最初から弾き直して一通り弾きました。そして花丸〜♪ やった〜!p(^^)q いい気分で、一曲仕上げることができました(*^_^*) あまりにもヘタクソで、ほとんどあきらめていた曲だっただけに、こんなにいい気持ちで仕上げることができて、嬉しさもひとしおでしたヽ(^0^)ノ
弓の持ち方、バイオリンの持ち方、指の動かし方、自分の中でしっくりくる方法をさぐり、同時に自分のくせでなく自然に正しい方法を学び…と試行錯誤のトンネルに入り込んでいましたが、前回のレッスンの時、先生に「私も最近、もう一度弓の持ち方をさぐっているんです。」と言われて、やっぱりそういうものなんだなぁと思ったら、なんとなく気持ちが楽になりました。そして、そういえば私も、ピアノの弾き方を最近さぐっていることに気づき、そういうプロセスを経験して、続けていくことの大切さを実感しました。悩みは続くけど、発見も続いて、それが楽しくて満たされるから、私でもやめないで続けていられるんだよなぁ…なんて思ったりして。
そんな中、今日の「かる〜く、楽しく、きれいな音で」は、すごく大きな出来事でした。「そうだ、『きれいな音』の為に工夫や訓練や学びが必要なのであって、枠にはまっていつでも同じ!っていうのでなくていいんだ。そりゃそうだよね。そしてリキんで固くならないように、力をぬいてリラックスして楽しんで…って、そっちの方にもっと心を向けていいんだな…。」と改めて、ある意味初めて思いました。
そういえばTCC時代、ピアノでスランプに落ち込んでいた時、先輩のMちゃんに同じことぼやいたことがあったなぁ。なんか、20年もたって、ようやく答えが見えてきたような気がしました。曲がりなりにも続けていると、それなりに学び、感じ、思い、考え、深められていくものだなぁと思います。「継続は力なり」って、昔の人はよく言ったものですね。
抽象的で、あまりよくわからないかもしれませんが、私にしてみたら、なんだか記念すべき瞬間というか、出来事だったので、忘れないように書いておこうと思いました。イエス様によって心満たされた時に感じる、しあわせ〜♪な思いでいっぱいです。きれいな音でイエス様に賛美をささげることを目指して、これからもピアノやバイオリンのレッスンを、「かる〜く楽しく」励んでいきたいです。
Monday, June 8, 2009
JはTVディレクター?!
夕食後、NHKの「クローズアップ現代」で、電気自動車についての特集をしていたので、Jと一緒にみました。
小さい頃から車大好き、電車大好きのJ。どこででも、何でも、タイヤさえついていれば目を光らせて突進していくJを見ながら、Kevinと「タイヤさえついていれば、Jにはお宝なんだねぇ。」と、よく話したものでした。
その「車大好き」は、今ももちろん健在。気になる対象、興味関心のある対象が、ミニカーから実際の車にまで広がってきて、あれがいい、これはいやだと、デザインや色に目を光らせ、車の絵を描くのも、描き方を学ぶのも大好きです。そんなわけで、さっきもテレビの画面に映る車を見ながら、「Jはあれが好き」「あ、あれはいやだ!」と、妙に熱く語りながら、熱心に見ていました。
二人でいろいろ話しながらテレビを見ていたのですが、私は別にネットでいろいろ調べながらの「ながら族」(古いことばですが…f(^_^;)。突然Jが「ちがう、ちがう!そっちじゃない、あっち!!」と叫びました。どうやら画面に出たのが、Jは嫌いなタイプの車だったらしく、自分の好きなタイプ、デザインの車をもっと見たかったJ、思わずテレビの画面を仕切る態度に?!
突然大声を出すのでびっくりして、Jとテレビを見たら一瞬にして様子がつかめたママ(うん、さすがママ)。思わず吹き出して「ちょっと、こんなところでJがカメラ仕切ったって、Jの叫びは、テレビのひとには聞こえませ〜ん。」と大笑い。Jもそう言われてはっとしたらしく、それもそうかと照れ笑い。笑いと気管支炎の咳が重なり、ゲラゲラ、ケホケホが止まらないママでした。
今夜はミーティングに参加する為、Kevinが留守なので、Jと二人で夕食を食べました。結構な量のご飯を、おいしそうにペロッとたいらげて、「Jもよく食べるようになったよね〜」と言ったところでした。Jの成長を実感するこの頃です。小さい頃からいろいろと楽しませてくれるJですが、成長と共に、そのおもしろさ、楽しさも広がり大きくなってきました。これからの成長もますます楽しみです。イエス様、みことばの約束通りに、Jをいつも見守り、助け、育ててくださいね!と、ついお得意の「脅迫の祈り」をしてしまう私です(^^)
小さい頃から車大好き、電車大好きのJ。どこででも、何でも、タイヤさえついていれば目を光らせて突進していくJを見ながら、Kevinと「タイヤさえついていれば、Jにはお宝なんだねぇ。」と、よく話したものでした。
その「車大好き」は、今ももちろん健在。気になる対象、興味関心のある対象が、ミニカーから実際の車にまで広がってきて、あれがいい、これはいやだと、デザインや色に目を光らせ、車の絵を描くのも、描き方を学ぶのも大好きです。そんなわけで、さっきもテレビの画面に映る車を見ながら、「Jはあれが好き」「あ、あれはいやだ!」と、妙に熱く語りながら、熱心に見ていました。
二人でいろいろ話しながらテレビを見ていたのですが、私は別にネットでいろいろ調べながらの「ながら族」(古いことばですが…f(^_^;)。突然Jが「ちがう、ちがう!そっちじゃない、あっち!!」と叫びました。どうやら画面に出たのが、Jは嫌いなタイプの車だったらしく、自分の好きなタイプ、デザインの車をもっと見たかったJ、思わずテレビの画面を仕切る態度に?!
突然大声を出すのでびっくりして、Jとテレビを見たら一瞬にして様子がつかめたママ(うん、さすがママ)。思わず吹き出して「ちょっと、こんなところでJがカメラ仕切ったって、Jの叫びは、テレビのひとには聞こえませ〜ん。」と大笑い。Jもそう言われてはっとしたらしく、それもそうかと照れ笑い。笑いと気管支炎の咳が重なり、ゲラゲラ、ケホケホが止まらないママでした。
今夜はミーティングに参加する為、Kevinが留守なので、Jと二人で夕食を食べました。結構な量のご飯を、おいしそうにペロッとたいらげて、「Jもよく食べるようになったよね〜」と言ったところでした。Jの成長を実感するこの頃です。小さい頃からいろいろと楽しませてくれるJですが、成長と共に、そのおもしろさ、楽しさも広がり大きくなってきました。これからの成長もますます楽しみです。イエス様、みことばの約束通りに、Jをいつも見守り、助け、育ててくださいね!と、ついお得意の「脅迫の祈り」をしてしまう私です(^^)
またまた更新手続き
今年は免許の更新だけでなく、パスポートの更新の年でもあり、今日はパスポートセンターに行ってきました。
前に、Jのパスポート更新で行った時は、二人で電車で行きました。今回は、バスで行ってみようかな〜と思っていましたが、まだ気管支炎で咳コンコンなので、優しいKevinが車に乗せて行ってくれました(*^_^*)ありがと〜♪
月曜の午後ということもあってか、Jと一緒に午前中に行った時とは全然違って、ずいぶんすいていました。書類を書くのも、アメリカ式にアルファベットを使って表記してもらう為に、申請用紙とは別の書類も書かなくちゃいけなくて、過去何回かの更新はいつも時間がかかって、書類を書くのも面倒で…(>_<)という印象が強いのですが、今回はなんだかとってもスムーズに、短時間で終わりました。あとは15日以降、新しいパスポートを取りに行けば、あと10年OKです。
免許の更新も、パスポートの更新も、ついうっかり忘れてしまうと大変なことになりますが、無事に手続きができて良かったです。なるべく早く手続きに行こうと思っていた矢先に風邪を引き、長引いてなかなか治らず、ちょっとあせり気味だったので、なおさら無事にすんだ安心感が増しました。ついつい先延ばしに、間際になってからでないと動き出さない私なので、いつもKevinがいろいろ管理してくれているのも感謝なことだなぁと思いました。新しいパスポートと免許を取りに行く時は、もっと元気になっているといいなぁ…。昨日、私の健康を心配して、祈ってくれたMさん、「ママの/かおりの健康を守ってください」と祈ってくれるJとKevin、そして皆さん、いつもお祈りありがとうございます。
前に、Jのパスポート更新で行った時は、二人で電車で行きました。今回は、バスで行ってみようかな〜と思っていましたが、まだ気管支炎で咳コンコンなので、優しいKevinが車に乗せて行ってくれました(*^_^*)ありがと〜♪
月曜の午後ということもあってか、Jと一緒に午前中に行った時とは全然違って、ずいぶんすいていました。書類を書くのも、アメリカ式にアルファベットを使って表記してもらう為に、申請用紙とは別の書類も書かなくちゃいけなくて、過去何回かの更新はいつも時間がかかって、書類を書くのも面倒で…(>_<)という印象が強いのですが、今回はなんだかとってもスムーズに、短時間で終わりました。あとは15日以降、新しいパスポートを取りに行けば、あと10年OKです。
免許の更新も、パスポートの更新も、ついうっかり忘れてしまうと大変なことになりますが、無事に手続きができて良かったです。なるべく早く手続きに行こうと思っていた矢先に風邪を引き、長引いてなかなか治らず、ちょっとあせり気味だったので、なおさら無事にすんだ安心感が増しました。ついつい先延ばしに、間際になってからでないと動き出さない私なので、いつもKevinがいろいろ管理してくれているのも感謝なことだなぁと思いました。新しいパスポートと免許を取りに行く時は、もっと元気になっているといいなぁ…。昨日、私の健康を心配して、祈ってくれたMさん、「ママの/かおりの健康を守ってください」と祈ってくれるJとKevin、そして皆さん、いつもお祈りありがとうございます。
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