Tuesday, August 3, 2010

麦茶

夏になると思うこと。「やっぱり夏は麦茶がおいしい〜!」

Jがまだ7歳の時に一時帰国でアメリカに戻った時、7歳のJなりにいろいろ感じたカルチャーショックの一つが、「アメリカの自動販売機では、お茶(麦茶、十六茶、緑茶などなど)を売っていない」ということでした。そういえば、自販機で買って飲ませたのはお茶のたぐいばっかりだったので、それがアメリカでは売ってない!というのが、幼心にも不思議だったのでしょう。

去年だったと思うけど、「昭和の麦茶の作り方」というのをテレビで見て以来、もともと麦茶大好きだった私に拍車がかかり、特に夏は麦茶なしの生活なんて考えられないほど、麦茶(85%)とコーヒー(15%)ばかり飲んでいる毎日。大好きな紅茶も、この時期はしばらく飲んでません。(でも秋になって涼しくなると、紅茶の出番がど〜んと増えるのですが…。紅茶さん、ちょっと待っていてね〜)

テレビで見てご存知の方もいらっしゃるでしょうが、「水だし麦茶」のおいしい作り方をご紹介しましょうo(^-^)o

1)まず、水だし麦茶のティーバックを容器に入れ、ひたひたになるくらいの熱湯を注ぎ、1分以上そのままに。
→そうすると、麦茶の旨み成分だけが出てくるんだそうな。

2)そこに水を入れて、良い色が出るまで待つ。良い色が出たら、ティーバッグを取り出して冷蔵庫へ。
→あまり長くティーバッグを入れておくと、苦み成分が出てきてしまって、せっかくの旨みを味わえません。くれぐれも「入れっぱなし」はやめましょう。

水分摂るならなんでもいいと思うけれど、こうやって作った麦茶はとってもおいしいし、ミネラルたっぷりで体にも優しい飲み物だと思います。麦茶とコーヒーは作り方が似ているそうで、麦茶を濃〜く煮出して飲むと、コーヒーみたいな味がするとか。それで子供の頃から麦茶大好きだったのかな〜なんて思いました。味もそうだけど、小学生の頃、朝ご飯にホット麦茶にお砂糖入れて飲んだのがとってもおいしくてなつかしく、麦茶はホットで飲むのも大好きです。お砂糖入りの麦茶は「遠足の味」がするのは私だけ?!じゃありませんよね。(同年代の方、なつかしいでしょ?)

熱中症の予防も兼ねて、外出する時は、マイ水筒に麦茶がかかせない我が家。皆さんも、上手に水分補給し、涼をとって、暑い夏を過ごしてくださいね♪体も心も、神様の恵みと助けに守られますように祈りつつ。。。

Saturday, July 31, 2010

Jの誕生日

Jのお誕生日でした。ちょうど小グループの集まりがあったので、学びのあと、みんなにお祝いしてもらって、一緒にケーキを食べました♪いろんな方々からお祝いのカードやプレゼントをいただきました。神様とたくさんの方々から、こんなに愛され、祈られ、心にかけていただいて成長できるJは、本当にしあわせだなと感謝いっぱいです。

宣教師、しかも国際結婚の夫婦の子供として、Jはいろんな苦労や大変な道を否応なく歩まされていますが、そこに「神様からの恵みと祝福」「神様の豊かな愛」を見いだすことができれば、すべてが感謝に変わり、神様への愛、信頼、信仰が深められていくことでしょう。親としてしてあげられることなんて、ほんのわずかなことばかり。それに不完全な親にすぎない私たちは、日々たくさんの失敗をしています。でも!神様は「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。(ローマ8:28)」と約束してくださっています。私自身、今までの歩みのなかでいろんなことがありました。でも神様にあって、神様を見上げた時、すべては感謝に変わり、益とされ、祝福に満たされてきました。Jも、イエス様と共に、そんなしあわせな歩みをしてほしいと思い、祈り続けています。

「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。(ヘブル12:2)」
「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。(詩篇23:1)」

何が足りなくても、何が弱くても、イエス様が一緒にいてくださるなら、そしてJ自身がイエス様のすぐそばにいたい!と思って生きていくなら、私たちは親として一番嬉しく安心です。親子として、家族として、そして主の体につらなる主の家族として、お互いしっかりとイエス様につながり、愛し合い、祈り合って歩んでいけるといいな〜と思いました。

いつもJを愛し、祈ってくださる神様、皆さんに心から感謝して…。

Tuesday, July 20, 2010

猛暑で思ったこと

お久しぶりの更新です(^^)

梅雨が明けたら猛暑、猛暑の毎日。。。みんなの健康が守られますようにと祈らされる日々です。それにしても、温暖化の影響が年々強くなってるからかな〜と、ちょっと恐いですね…。

日中の暑さも、日が沈むとちょっとずつおさまっていくので、先日、夕食後に、Jの帽子を買いに自転車でヨーカ堂に行ってきました。暗くなったらほとんど外に出ない私ですが、あまりの暑さに、日中買い物に行く元気はなく、でもどうしても帽子は必要…。ということで、私には滅多にないことだけど、暗くなってからJと二人で出かけたわけです。

もともと人の多い場所ですが、暗くなったからと言って人の数が少なくなるわけでもなく、夜8時過ぎてもヨーカ堂は大にぎわい?!でも、さすがに日中よりは駐輪場が空いてましたが。

自転車こいで、ヨーカ堂に向かう途中に思ったこと。
そういえば昔、学校で「暑い国に住んでいる人達は、お昼は体力保持の為にお昼寝するので、お店もお休み。暗くなってくるとみんな活動し始めてにぎわう。」って聞いたなぁ。あの時は、「へぇ〜、場所が違うとずいぶん違うんだなぁ。」と新鮮な驚きがあって、そんな生活をしている国ってどんなところなんだろう〜と思ったけど、確かに日中暑ければ、夜、日が落ちて涼しくなってから活動するようになるよね…。はるか遠い国のお話だと思ってたけど、なんだかちらっとそんな様子が垣間見えるような。。。これからどうなっていくのかなぁ。

こうやって字に書くと、さっぱりまとまらないし、あまりはっきり「だからどうなの」ってことも伝わらない思いですが、人込みを自転車ですり抜けながら、なんだか一人、物思いにふけってしまいました。。。

Saturday, June 26, 2010

夕食係?

今日は午後から、教会の若者達がみんなで出かけ、スポーツを楽しむというイベントがありました。メンバーはJのお兄ちゃん、お姉ちゃん的存在なので、「Jも連れてってくれる?」とお願いしたところ、「もちろん!」と、一緒に連れて行ってくれました。私もKevinも一緒ではないので、最初は「え〜っっ」と言っていたJも、時間が来たらちゃんと準備して、とっとと出かけていきました。みんなに面倒みてもらって、楽しく遊んできたらしいです。良かった、良かった。ほんとにうちの教会の子達はみんないい子達ばっかりで、みんな仲良しで感謝です♪

そして夕食。教会の若者達は夕方までスポーツを楽しみ、後は場所を移動し、そのままみんなで夕食を食べて、Kevinのショートメッセージと分かち合いというスケジュールでしたが、Jはスポーツが終わったら帰ってきました。

初めの予定では、Jが戻ったら駅で待ち合わせをして、教会のお友達と私とJの3人でラーメンを食べに行こう!と言っていたのですが、それは延期となりました。「これから帰る」と電話してきたJに、「ラーメン食べるのは、今日はやめにしたから、家に帰ってきて。」と言って、私は週報作りや明日の準備で大忙し。。。

「駅についたよ」とまた電話してくれたJ。「ところでさ、ご飯どうする?」と。「さぁ〜、どうしようかねぇ。」と無責任なママに「あのさ、弁当買って行こうかと思っているんだけど。」と言って、私の注文をとり(?)、ちゃんとお弁当を買ってきてくれたのです。いろいろ忙しかったママには、なんというBig Help!ずいぶん大きくなったなぁ。頼もしくなってきたなぁ。優しいなぁ。。。と、とっても嬉しかったのでした。

メンバーの皆さん、お世話さまでした。いつもJをかわいがってくれて、どうもありがとう。Jも、夕食係してくれてありがとね!と、神様とみんなへの感謝でいっぱいの土曜日でした♡

Wednesday, June 23, 2010

あれから1年…

キキがイエス様のところに行って、今日で1年たちました。去年の今日のことをいろいろ思い出しながら、1日過ごしています。家の中のどこにもネコがいない、キキと遊んだり、抱っこしたり、一緒にお昼寝したりができなくなっちゃった、ということは、今だにほんとに寂しく悲しいのですが、イエス様が抱っこしてくださっていると思うと慰められ、この1年を過ごしてこれたんだなぁと思います。

いろんな意味で、いろんなことが激変した1年でした。でも神様の愛と恵みはいつも変わらず、たくさんの祝福をいただいて過ごしてきました。そこから力を得なければ、この変化に対応できなかったことも数多く…。神様に感謝と賛美をささげるのみです。

キキのことをますます愛おしく感じ、キキとの思い出を大切に、そしてこの1年を守り導いてくださった神様に感謝して、また新しい歩みを始めていこう!と思っています。

Monday, May 31, 2010

誕生日♪

今日は私の誕生日。朝から、たくさんの方々にお祝いメールをいただき、またプレゼントもいただいて、皆さんのあたたかい愛の言葉や行ないを通して、神様からたくさんの恵みをいただいています。ありがとうございます!

今年の誕生日は、私には感慨深いものがあります…。というのは、父が失明したのと同じ年齢になったからです。「パパは今頃、目が見えなくなったんだなぁ。」と、当時のことをいろいろ思い出したり、子どもの頃にはわからなかった、父や母の思いが少しわかるようになってきたり、このことを通して与えられた神様の恵みや祝福を数えて感謝の思いがますます深くなったり…。

5月16日〜24日まで、実家に帰ってきました。その時、家においていた楽譜を何冊か持ってきたかったので、母がまとめておいてくれた箱を開けて、楽譜や本などを探しました。その時、1986年11月号の「決断-Decision」というクリスチャンの月刊誌(今はもう発行されていませんが)が出てきました。両親が取材を受けて、「暗やみにいのちの光輝いて」という記事になったのです。

もう一度その記事を読み返し、大きな試練の中で、神様がどのように父と母に働き、慰め、励まし、その愛の中にしっかりと保って守ってくださったのか、また家族の必要をすべて神様の方法で満たし、私と弟に好きな学びをさせ、神様の導かれる道に進む備えをしてくださったこと、父や母の信仰、そして神様のすばらしさを思わされました。

「主は私の羊飼い。私にはとぼしいことがありません。(詩篇23:1)」小さい時から一番大好きなみことば。このみことばをしっかり握って、父や母の信仰、また私の為に祈り育ててくださった多くの信仰の先輩達の信仰と幻を受け継ぎ、子ども達や霊の子ども達に信仰のバトンをしっかり渡していきたいなと祈らされます。実家に戻って、なつかしい方々にたくさん会うことができました。そして一緒に育った幼なじみのSちゃん、今年度から母教会の牧師になったK君にも会い、一緒に育った友達が、大きくなってますます祈りの友としてお互いを愛し、祈り合える幸いも感謝しました。受けた恵みをたくさんの人と分かち合い、神様の恵みがますます豊かにされ、私たちの歩みを通して主の御名に栄光が帰されますように…!

<ぶどうの木>

「わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。(ヨハネ15:2)」

イエスがご自分をぶどうの木にたとえられたヨハネの福音書15章は、愛に満ちあふれたみことばです。「イエスはまことのぶどうの木であり、私たちはその枝です。」というのが、15章全体の要旨です。この本文は、実を結ぶ枝とそうでない枝が直面する、相反する運命について話しています。大学生宣教団体で軍隊の訓練のような信仰生活を送った私は、この箇所を読みながら失望したものです。自分自身をいくら振り返ってみても「実を結ばない枝」のように思えたからです。少なくとも「実を結ぼうともがく枝」くらいにはなるだろうかと思いましたが、本文にはそのようなグレーゾーンの枝はありませんでした。「農夫である神様が、私のような枝をすでに取り除いてしまっていたらどうしよう。いや、もうすでに取り除かれてしまったかもしれない」と思い、辛かったものでした。

このみことばは、ギリシャ語の原語を知っていても、聖書時代の文化を知らなければ、聖書の翻訳が難しいことを教えてくれます。ポイントは、聖書時代のぶどうの栽培方法にあります。今日のぶどうは枝がY型の針金に絡まりながら育ちますが、聖書時代には針金などはなく、ぶどうの枝は地面をはうようにして伸びました。農夫は地面の上に伸びた枝を一つ一つ持ち上げて、石で支えました。枝が地面に着くと、そこから新しい根が張ってしまい、もともとの根から栄養が供給されなくなり、実を結べないからです。このように聖書時代の農夫は、地面についた枝は「持ち上げ」、実を結ぶ枝は「きれいにする」剪定作業をしたのです。

本文では「取り除く」と翻訳されたギリシャ語の原語は「アイロ」ですが、これは「取り除く」と「持ち上げる」という二つの意味があります。聖書時代のぶどうの栽培方法に基づくと、このみことばは「持ち上げる」と翻訳することもできます。

すると、みことばの意味が大きく変わります。実を結べない枝を農夫である神が取り除かれるのではなく、一つ一つ持ち上げられ、結局は神のみこころをなしてくださるからです。さばきの恐さを与えるみことばが、すばらしい励ましのみことばに変わるのです。結局、枝である私たちが実を結ぶ方法は、とても簡単なのです。ただ、まことのぶどうの木であるイエスにしっかりとつながってさえいれば、農夫である神がすべてをうまく取り仕切ってくださるのです。

リュ・モーセ:イスラエル宣教師、『イスラエル・トゥデイ(韓国語版)』編集長