Thursday, July 23, 2009

キキ

キキをイエス様のもとに送って、今日でひと月がたちました。このひと月は、何かにつけてキキを思い出し、涙、涙で過ごしました。でもたくさんの人の愛や祈りに支えられ、何よりも神様の愛と恵みに満たされて過ごす事ができ、寂しさの中でも本当に感謝にあふれたひと月でした。キキの亡きがらを、その日のうちに実家に車で連れていって、父や母のところで、代々かわいがってきた他のペット達を埋めてきた、庭の梅の木の下に一緒に埋めてあげられたことも、本当に神様の優しい心遣いでした。また、私たち家族のつながりも、キキの死を通してさらに深められたと思います。

Kevinのお母さんに、キキのことを報告した時、「これから4週間、自分の為にとって、存分に泣きなさい。そしてまた前に向かって歩みだすのよ。」と言われました。私の父や母も、私の悲しみや寂しさを一緒に受け止め、静かに見守ってくれました。弟や、義妹のTちゃん、親友のMちゃん、教会の人達、本当に私達の悲しみや寂しさを共有し、一緒に泣いてくれました。キキを通していただいた神様からの祝福は、数えきれないくらいありますが、キキの死を通して、なおさらその祝福と恵みが痛いほど身にしみて、キキの存在が、どんなに尊い神様からの贈り物だったのかを思わされています。

他の人が見れば、一匹の猫にすぎなかったかもしれません。でもキキは、結婚したばかりの私が、アメリカでKevinと一緒に自分達の家庭を築きあげる為の大事な土台の一つとなってくれた存在でした。Jが生まれた時から、私達はキキと一緒にJを育ててきたようなものでした。そしてアメリカ中を回ってサポート・ディスカバリーをしている間中、キキはいつも留守番して、私たちが帰る「家」という存在と空間を保っていてくれました。アメリカから日本に引っ越す時も、一緒に飛行機に乗って日本に来て、今度は日本で「我が家」を建て上げるための大事な要となってくれました。変化が多く、たくさんの調整が必要だった時も、いつもキキの存在によって、「ここが私たちの家だ」ということを確認でき、アメリカでの生活と日本での生活の橋渡しとなってくれました。私たちが2度、長期で一時帰国した時も、キキはいつも通り留守番をして、私たちの帰りを待っていてくれました。キキの存在によって、神様は私たちに本当にたくさんの支え、力、励まし、慰め、希望を与えてくださいました。

15年も一緒に過ごしてきたキキ。キキは、漢字で「喜姫」と書きます。私にとって、キキは本当に「喜びをもたらしてくれる、大切なお姫様」でした。キキのいない生活に慣れるには、まだまだ時間がかかりそうだし、今でもキキを思い出して、私と一緒にいないことをしみじみ感じると涙が溢れてきますが、キキと一緒に過ごした15年、本当に幸せな15年でした。私にとっていろんな意味で激動の15年でしたが、イエス様がキキを私達のところに送ってくださって、本当に幸せな感謝な時間でした。おりこうなキキは、死ぬ時も、女王様のようにりっぱでした。私のこと、私が思う以上に、神様が気遣ってくださり、キキをそのように生かし、死なせてくださったんだと思います。キキをいっぱい愛し、キキにもたくさん愛してもらったな…と思います。キキ、ありがとう!

3 comments:

Sparrow said...

キキは喜姫だったんですね。昨日お邪魔した時に、今もどこかの部屋に隠れていて、ふいに「にゃー」と出てきそうな気がしました。うちの実家の亡くなった犬に対しても、そういう気がするんですよ。うちに愛犬がきてから、ますます亡くなった犬のことを思い出すようになりました。でも、動物たちも神様がつくってくださったもの。神様が彼らのことも愛してくださっていることが励ましですね。

きーちゃんママ said...

 ようやくキキのこと書けるようになりましたね。キキのこの表情は何時までも心に残ります。一匹ペットを天国に送るたびに、天国の門の所に並んで、私たちを迎えてくれる数が増えて、天国へ行くのが楽しみです。
 ドンもモックも、ミヤーも喜太郎もキー介もその時々にあった私たちとの関わりをしてくれましたが、キキは言葉も住む環境も変わるストレスの中、良く気品を保って頑張りました。ほんとにキキに支えられましたね。
 外に出るとつい「キキ」と梅の木の根っこに目がいってしまいます。来春はきれいな梅の花が咲くよ。

Kevin said...

Sparrowさん
そういえば、キキを漢字でどう書くか、なんて話したことありませんでしたね。「喜び+お姫様」なのですよ。教会の方達がうちに来て、それぞれにキキをなつかしみ、キキの存在を大切に心に覚えてくださることによって、本当に慰められています。

きーちゃんママさん
いろいろお世話になりました。でも、自分が育った家の庭にキキを埋めてあげることができて、あの時私が感じた以上に、時間と共に神様の優しいご配慮と愛をもっと感じるようになりました。「神のなさることは、すべて、時にかなって美しい」をしみじみ味わいつつ、私の中で天国がなおなつかしく、慕わしい場所となり、イエス様がさらに大きくなっています。