私には、特に大切にしているサングラスが一つあります。サングラスのレンズがどのように加工されているかは、よくわかりませんが、これをかけると、すべてが違って見えます。緑色はより強い緑色に、黄色はより明るい黄色に見えます。すべての色がより鮮明に見えるので、はずしたくないほどです。
私たちが神の栄光に魅せられる時、それはちょうど、このようなサングラスをかけているのと似ています。すべてのものが違って見えるのです。人生の目標はより鮮明になり、生活は新しい力に満ち、神の栄光に魅せられた人だけが味わうことのできる心の感動を感じます。私たちを霊的に完全にするだけでなく、霊的な挑戦である神の目標を、喜びをもって受け入れることができるのです。
私たちの人生への神の関心事は、私たちがただ道徳的で責任ある存在になることではありません。むしろ他の人の神への好奇心を刺激し、霊的で魅力ある存在になることです。キリストに似る人生とは、人々の心を惹きつけるが当惑させ、受け入れるが議論を引き起こし、怒りを刺激するが慰めを与え、何よりも周囲の人々を徹底的に愛します。このようにしてキリストに捕えられた人生は、他の人たちの神に対する新しい思いを刺激します。
ですから重要なのは、どのように従えば神が私たちの人生をより楽で成功する人生に変えてくださるかではありません。聖徒が悩むべき問題は、どのように神の御心に従えば、神の大いなる力が私たちの生活の現場でより鮮明に現れるかということなのです。
「内面の革命」/ドワイト・エドワーズ
Wednesday, August 12, 2009
Saturday, August 8, 2009
<予告のない主の訪れ>
働き人にとって一番重要なことは、人生のあらゆる状況の中で、イエス・キリストと対面する準備をすることです。これは決してたやすいことではありません。罪、苦難、環境を相手にした戦いではなく、神に仕えることに没頭していながら、実際にイエスと対面する準備ができていない自分自身との戦いだからです。私たちにとって重要なことは、信念や教理の前で完全な人になることでも、神に有用な存在になることでもありません。ただ、イエス・キリストと対面することです。
イエスは、私たちが予想しているような時には来られません。神は私たちが期待しない所で、予想することができない状況の中で現れます。働き人が神の前に正しくある為には、このように、「思いがけない時に訪ねて来られる神」を迎える準備ができていなければなりません。問題は、私たちの働きや礼拝ではなく、イエスをいつでも迎えることができる真実な信仰です。それでこそ、神が願われる幼い子どものような信仰で生きることができます。イエス・キリストを迎える準備をする為には、教会に通うことを高尚な生活態度とみなすような習慣的な態度を捨て、霊的に真実にならなければなりません。
宗教を流行として見る世の中の風潮を拒否し、神に視線を向け、神が願われることに集中し、神の立場から物事を考える時、人々はあなたを非現実的な夢想家とみなすことでしょう。しかし、慌ただしい日常生活の中で、突然イエスが現れたとしたなら、準備ができているのはそのような人達だけです。誰も信じてはいけません。この世で一番立派な聖者だとしても、イエス・キリストを見つめることを妨げるなら、無視しなければならないのです。
オズワルド・チェンバース
イエスは、私たちが予想しているような時には来られません。神は私たちが期待しない所で、予想することができない状況の中で現れます。働き人が神の前に正しくある為には、このように、「思いがけない時に訪ねて来られる神」を迎える準備ができていなければなりません。問題は、私たちの働きや礼拝ではなく、イエスをいつでも迎えることができる真実な信仰です。それでこそ、神が願われる幼い子どものような信仰で生きることができます。イエス・キリストを迎える準備をする為には、教会に通うことを高尚な生活態度とみなすような習慣的な態度を捨て、霊的に真実にならなければなりません。
宗教を流行として見る世の中の風潮を拒否し、神に視線を向け、神が願われることに集中し、神の立場から物事を考える時、人々はあなたを非現実的な夢想家とみなすことでしょう。しかし、慌ただしい日常生活の中で、突然イエスが現れたとしたなら、準備ができているのはそのような人達だけです。誰も信じてはいけません。この世で一番立派な聖者だとしても、イエス・キリストを見つめることを妨げるなら、無視しなければならないのです。
オズワルド・チェンバース
Friday, August 7, 2009
やっぱり伴奏者?
久々にバイオリンのこと♪先日のレッスンでは、今まで練習してきた曲が何となく形になってきたので、伴奏と合わせて弾いてみましょうということになり、先生にピアノ伴奏をしていただきました。
やっぱり、伴奏と合わせて弾くには、私のバイオリンはまだまだだな〜と痛感。でも確かに、伴奏がついたことによって、1人で弾いていた時にはなかなかわからなかったことが見え、感じ、いい勉強になりました。
ついでに、いつもは私がピアノで伴奏する立場なので、「伴奏してもらう」という立場になって演奏してみると、へぇ〜、ピアノってこう聴こえるんだ〜などと、ピアノ伴奏者としても、滅多にない勉強になったような気がしました。ほんとに、実際自分が経験してみないとわからないことや、気づかないこと、感じられないことってたくさんあります。
四苦八苦しながら、なんとか最後まで曲を弾き終え、ほっと一息。「いや〜、考えてみると、(TCCの時の)声楽のテスト以外に、こんなふうに伴奏してもらうって初めてのような…。いつもは私がピアノの伴奏者っていう立場なので、立場がかわると勉強になりますね〜。」と言ったところ、「じゃあ、立場かえてやってみましょうか?」と先生。つまり、私がピアノ伴奏して、先生がバイオリンを弾く、という形でやってみましょうよ、と…。
実は「先生に弾いてもらえたらなぁ…。」と思っていたので、「やった、ラッキー!」だった反面、ピアノの伴奏譜、さらっと見てはいるけど、先生の伴奏ができるほど、突然弾けるのか?!という不安もあり…。でも、先生がやる気十分で、私のバイオリンを受け取って、弾く体制に入っていたので、まぁ、ピアノなら何とかなるかな、と、私もピアノの前に座って、さらっと譜読みしていよいよ合わせました。
バイオリン大好きだけど、やっぱりピアノは私の長年の友であり、パートナーであり、存在の一部になっているんだなぁと、しみじみ感じた瞬間でした。そして、今ピアノを弾けるくらいにバイオリンを弾けるようになり、バイオリンが私の存在の一部になるのを楽しみに、これからもがんばって行こう!と思わされました。
それにしても、ピアノは(ある程度なら)楽譜を見れば、自然に指が動き、大体弾き方もわかり、(ある程度)自分で弾きたいように、(ある程度)弾きたい音で弾けるのに、バイオリンは難しい〜。でもピアノだって、もっともっと勉強していかなくちゃ。「ある程度」で止まらずに…と、バイオリンと共に、ピアノの課題も、山のようなこの頃。「ピアノでも、もっともっといろんな曲を弾いていきたい。バイオリンでも、ピアノを弾くみたいに(ある程度?)自由に弾けるようになりたい。神様、私はこんなにピアノとバイオリンが大好きです。どうぞ神様を賛美する為に、私のピアノとバイオリンを用いてください。ピアノとバイオリンで賛美させてください!」という祈りと思いがさらに強くなりました。
それにしても、先生の演奏はほんとにすてきでした。先生の音、弾き方、表現の仕方はすばらしかったです。私のバイオリンも、最大限にいい音を引き出していただき、バイオリンも嬉しかったんじゃないかと思うくらい。すごく勉強になりました。嬉しかったのは、ほとんど初見でドキドキしながらのピアノ伴奏だったけれど、初めて合わせたとは思えないくらい、結構いい感じで合わせられ、先生に「かおりさんの伴奏、すごく弾きやすいですね。いや〜、久しぶりに楽しく弾けました!」と言っていただいたこと。昔からずっと伴奏大好き♡なので、伴奏者としての私には、一番嬉しい言葉でした。
たまたまレッスンに一緒に行って、私達の演奏を聴いていたJの感想:「ママはピアノ弾く方がいいよ。」
私:「…?どういう意味?」
(Jいわく、「ママは、バイオリンもがんばっているけど、ピアノの方がもっと上手だね。」という意味だそうな。優しい息子よ、あたたかい励まし、ありがと〜!)
JとKevinに、「ママのバイオリンも上手になったね」と言われるようになることをめざし、教会でバイオリン・デビューする日を楽しみに、これからもがんばろ〜。
やっぱり、伴奏と合わせて弾くには、私のバイオリンはまだまだだな〜と痛感。でも確かに、伴奏がついたことによって、1人で弾いていた時にはなかなかわからなかったことが見え、感じ、いい勉強になりました。
ついでに、いつもは私がピアノで伴奏する立場なので、「伴奏してもらう」という立場になって演奏してみると、へぇ〜、ピアノってこう聴こえるんだ〜などと、ピアノ伴奏者としても、滅多にない勉強になったような気がしました。ほんとに、実際自分が経験してみないとわからないことや、気づかないこと、感じられないことってたくさんあります。
四苦八苦しながら、なんとか最後まで曲を弾き終え、ほっと一息。「いや〜、考えてみると、(TCCの時の)声楽のテスト以外に、こんなふうに伴奏してもらうって初めてのような…。いつもは私がピアノの伴奏者っていう立場なので、立場がかわると勉強になりますね〜。」と言ったところ、「じゃあ、立場かえてやってみましょうか?」と先生。つまり、私がピアノ伴奏して、先生がバイオリンを弾く、という形でやってみましょうよ、と…。
実は「先生に弾いてもらえたらなぁ…。」と思っていたので、「やった、ラッキー!」だった反面、ピアノの伴奏譜、さらっと見てはいるけど、先生の伴奏ができるほど、突然弾けるのか?!という不安もあり…。でも、先生がやる気十分で、私のバイオリンを受け取って、弾く体制に入っていたので、まぁ、ピアノなら何とかなるかな、と、私もピアノの前に座って、さらっと譜読みしていよいよ合わせました。
バイオリン大好きだけど、やっぱりピアノは私の長年の友であり、パートナーであり、存在の一部になっているんだなぁと、しみじみ感じた瞬間でした。そして、今ピアノを弾けるくらいにバイオリンを弾けるようになり、バイオリンが私の存在の一部になるのを楽しみに、これからもがんばって行こう!と思わされました。
それにしても、ピアノは(ある程度なら)楽譜を見れば、自然に指が動き、大体弾き方もわかり、(ある程度)自分で弾きたいように、(ある程度)弾きたい音で弾けるのに、バイオリンは難しい〜。でもピアノだって、もっともっと勉強していかなくちゃ。「ある程度」で止まらずに…と、バイオリンと共に、ピアノの課題も、山のようなこの頃。「ピアノでも、もっともっといろんな曲を弾いていきたい。バイオリンでも、ピアノを弾くみたいに(ある程度?)自由に弾けるようになりたい。神様、私はこんなにピアノとバイオリンが大好きです。どうぞ神様を賛美する為に、私のピアノとバイオリンを用いてください。ピアノとバイオリンで賛美させてください!」という祈りと思いがさらに強くなりました。
それにしても、先生の演奏はほんとにすてきでした。先生の音、弾き方、表現の仕方はすばらしかったです。私のバイオリンも、最大限にいい音を引き出していただき、バイオリンも嬉しかったんじゃないかと思うくらい。すごく勉強になりました。嬉しかったのは、ほとんど初見でドキドキしながらのピアノ伴奏だったけれど、初めて合わせたとは思えないくらい、結構いい感じで合わせられ、先生に「かおりさんの伴奏、すごく弾きやすいですね。いや〜、久しぶりに楽しく弾けました!」と言っていただいたこと。昔からずっと伴奏大好き♡なので、伴奏者としての私には、一番嬉しい言葉でした。
たまたまレッスンに一緒に行って、私達の演奏を聴いていたJの感想:「ママはピアノ弾く方がいいよ。」
私:「…?どういう意味?」
(Jいわく、「ママは、バイオリンもがんばっているけど、ピアノの方がもっと上手だね。」という意味だそうな。優しい息子よ、あたたかい励まし、ありがと〜!)
JとKevinに、「ママのバイオリンも上手になったね」と言われるようになることをめざし、教会でバイオリン・デビューする日を楽しみに、これからもがんばろ〜。
キッズ英語クラス
先週、今週と、2週間で計4回、「夏期集中こども英語クラス」をしました。火曜日と木曜日の午後、1−2時の「幼稚園〜小学3年生のクラス」、3−4時は「4年生〜6年生のクラス」で2クラス。合計約20名のお子さん達が参加してくれました。教会にいつも来ている子達も、もちろん参加してくれましたが、教会のRさんのつながりで、Rさんが個人的に配布してくれたチラシによって、今回まったく初めてのお子さん達もずいぶん参加してくれました。私はいつも、Rさんの存在と交わりに、いろいろ教えられ、励まされているのですが、今回は特に、Rさんの賜物を通して、神様のご栄光が現されたことを痛感し、本当に感謝でした。そして大いに助けられ、支えられました。
クラスでは、Kevinがメインの先生として教えましたが、短期宣教師として来られている若〜いご夫妻、S兄とE姉が、準備や、クラスのアシスタント先生として、良い働きをしてくださいました。また、教会の方々も大勢、いろいろなところで関わり、奉仕し、支えてくださいました。私は、Jが風邪をひいたり、教会の他のことや、自分自身の体力のこともあり…でエネルギー不足を感じるこの頃。英語クラスの時は、受付に座って様子を見たり、クラスの為の準備、設定の手伝いをしただけで疲れてしまい、以前のように子どもたちに積極的に関わるという形での奉仕はできませんでした。でも、そんな私の弱さを補って余有るほど、教会の方々のご奉仕や存在に助けられ、励まされ、支えられて、神様の体なる教会が、それぞれに機能して一致して働く姿を見せていただき、そういう意味でも私には大きな祝福でした。感謝♪
ケガも事故もなく守られ、子どもたちもお母さん方も、新しい知り合いが増え、楽しく英語クラスをすることができて、本当に嬉しかったです。すべて御手の中で守り、導いてくださった神様に感謝!そして、何週間もかけて、教材を選び、勉強し、クラスのデコレーションやテキスト、視覚教材を作り、自分も体調があまり良くない中、主にすがって良い働きをすることができたKevinを見ながら、私もいろいろ教えられました。教材準備の「工作」には、短期宣教師のS兄、E姉と共に、Jもいろいろ手伝ってくれました。E姉は、独身の時にも2回くらい日本に来て、週日にいろいろ私達の為にお手伝いをしてくださって、前から知っている方です。その彼女が結婚し、ご主人と共に今回短期宣教師として来日し、将来的にも「宣教師」という働きを視野に入れて祈っているので、彼らの今後も、主がどのように導いてくださるのか、楽しみに祈っていきたいと思います。
忙しい2週間でしたが、神様に守られ、多くの方々の祈りに支えられ、まずは倒れずに責任を果たすことができて感謝です。なるべく早い時期に、教会として「こども英語クラス」を再開する予定でいます。神様が良い導きを与え、このミニストリーを祝し、私達にとっても大きな喜びとなる働きにつながっていきますよう、お祈りください。
クラスでは、Kevinがメインの先生として教えましたが、短期宣教師として来られている若〜いご夫妻、S兄とE姉が、準備や、クラスのアシスタント先生として、良い働きをしてくださいました。また、教会の方々も大勢、いろいろなところで関わり、奉仕し、支えてくださいました。私は、Jが風邪をひいたり、教会の他のことや、自分自身の体力のこともあり…でエネルギー不足を感じるこの頃。英語クラスの時は、受付に座って様子を見たり、クラスの為の準備、設定の手伝いをしただけで疲れてしまい、以前のように子どもたちに積極的に関わるという形での奉仕はできませんでした。でも、そんな私の弱さを補って余有るほど、教会の方々のご奉仕や存在に助けられ、励まされ、支えられて、神様の体なる教会が、それぞれに機能して一致して働く姿を見せていただき、そういう意味でも私には大きな祝福でした。感謝♪
ケガも事故もなく守られ、子どもたちもお母さん方も、新しい知り合いが増え、楽しく英語クラスをすることができて、本当に嬉しかったです。すべて御手の中で守り、導いてくださった神様に感謝!そして、何週間もかけて、教材を選び、勉強し、クラスのデコレーションやテキスト、視覚教材を作り、自分も体調があまり良くない中、主にすがって良い働きをすることができたKevinを見ながら、私もいろいろ教えられました。教材準備の「工作」には、短期宣教師のS兄、E姉と共に、Jもいろいろ手伝ってくれました。E姉は、独身の時にも2回くらい日本に来て、週日にいろいろ私達の為にお手伝いをしてくださって、前から知っている方です。その彼女が結婚し、ご主人と共に今回短期宣教師として来日し、将来的にも「宣教師」という働きを視野に入れて祈っているので、彼らの今後も、主がどのように導いてくださるのか、楽しみに祈っていきたいと思います。
忙しい2週間でしたが、神様に守られ、多くの方々の祈りに支えられ、まずは倒れずに責任を果たすことができて感謝です。なるべく早い時期に、教会として「こども英語クラス」を再開する予定でいます。神様が良い導きを与え、このミニストリーを祝し、私達にとっても大きな喜びとなる働きにつながっていきますよう、お祈りください。
Thursday, July 30, 2009
Happy Birthday, J!
今日は、うちのJ君のお誕生日。いよいよティーンエイジャーに。最近、急激に成長しているスピードに体が追いつかず、いろんな疲れもたまったのか、今週は風邪で熱を出してダウン。今日はだいぶ良くなって力もついてきたようですが、ささやかに、家族3人でしみじみ〜とお祝いしました♪
それにしても、Jの誕生日の為、教会のおばちゃん達からカードとお祝い、教会のお兄ちゃん、お姉ちゃん達からもプレゼント、カード、電話、メールでお祝い、両方のおじいちゃん、おばあちゃんからはもちろん、アメリカからも何通ものバースデーカードが届き、皆さんの心遣いや愛と祈りに、ただただびっくり。こんなふうに、たくさんの方々の愛と祈りの中で、イエス様を信じて生きることができるよう、祝福し導いてくださっている神様に、そしてたくさんの方々に、親として感謝の言葉もないほどです。ありがとうございます。
だんだん身長も私に近づいてきて、足のサイズは私のサイズよりも大きくなり、声変わりもし始めたJ。大人になったな〜と思う時、まだまだかわいいな〜と思う時、ずいぶん生意気なことを言い、痛い所をついてくるようになったなぁ〜と思う時、いろいろですが、神様がJをうちの子として生まれさせてくださり、一緒に家族として過ごせる今、いっぱい愛して、愛されて(時にはケンカもして、ちゃんと仲直りして)、私やKevinが神様からいただいたもの、またそれぞれの家族を通して培って、受け継いできたことをどんどん伝えていきたいな…と思っています。そして、神様を愛し、従い、喜んで仕える人になってほしい!私たちの祈りと願いはそれに尽きます。
Jに与えられている賜物は、これからどんなふうに磨かれ、神様の為に用いられていくのかな〜。ARTへの思いが強く、Jには一番の楽しみや喜びであり、自分なりに鍛錬を重ねているようですが(思い入れが強いほど、喜びや楽しみだけでなく、苦しみや葛藤も強く多いんですよね〜)、神様がこれからどう導いてくださるのか、楽しみに、期待しつつ祈っていこうと思っています。
それにしても、Jの誕生日の為、教会のおばちゃん達からカードとお祝い、教会のお兄ちゃん、お姉ちゃん達からもプレゼント、カード、電話、メールでお祝い、両方のおじいちゃん、おばあちゃんからはもちろん、アメリカからも何通ものバースデーカードが届き、皆さんの心遣いや愛と祈りに、ただただびっくり。こんなふうに、たくさんの方々の愛と祈りの中で、イエス様を信じて生きることができるよう、祝福し導いてくださっている神様に、そしてたくさんの方々に、親として感謝の言葉もないほどです。ありがとうございます。
だんだん身長も私に近づいてきて、足のサイズは私のサイズよりも大きくなり、声変わりもし始めたJ。大人になったな〜と思う時、まだまだかわいいな〜と思う時、ずいぶん生意気なことを言い、痛い所をついてくるようになったなぁ〜と思う時、いろいろですが、神様がJをうちの子として生まれさせてくださり、一緒に家族として過ごせる今、いっぱい愛して、愛されて(時にはケンカもして、ちゃんと仲直りして)、私やKevinが神様からいただいたもの、またそれぞれの家族を通して培って、受け継いできたことをどんどん伝えていきたいな…と思っています。そして、神様を愛し、従い、喜んで仕える人になってほしい!私たちの祈りと願いはそれに尽きます。
Jに与えられている賜物は、これからどんなふうに磨かれ、神様の為に用いられていくのかな〜。ARTへの思いが強く、Jには一番の楽しみや喜びであり、自分なりに鍛錬を重ねているようですが(思い入れが強いほど、喜びや楽しみだけでなく、苦しみや葛藤も強く多いんですよね〜)、神様がこれからどう導いてくださるのか、楽しみに、期待しつつ祈っていこうと思っています。
Saturday, July 25, 2009
<信じれば助けてくださる!>
数年前に、親しい友人であるピーター・ドラッカーの家を訪問しました。ピーターは純粋なルネッサンスの人間であり、現代経営の父であり、20世紀の最も明晰な思想家の1人です。私はピーターに尋ねました。「どのようにイエス・キリストを自分の救い主として受け入れるようになったのですか。」彼は少し考えてから答えました。「ようやく恵みに気がついたあの日、この世にこれ以上利益のあるものはない、ということに気がついたのです。」
イエスが十字架で私たちの罪の代価を払われた時、信じない人々は取り囲んで、主をあざ笑いました。「お前が本当に神の子なら、十字架から降りて自分自身を救ってみろ!」もちろん、イエスは彼らを無視しました。イエスがこの地に来られた目的は、自分を救うことではなかったからです。イエスは、ご自分を救うために来られたのではありません。イエスは、あなたを救う為に来られたのです。
イエスに「はい」と答えることで、あなたが失うものは何でしょうか。罪責感、不安、目的のない人生、死への恐れ、絶望、心配、恥、そして神の導きなしに1人で背負って生きてきた多くの重荷も捨てることになります。このような申し出を拒む人がいるでしょうか。
しかし、神はあなたに選択権を与えられました。あなたは神と離れ、自己中心的な人生を歩み続けることもできます。あるいは、自分の道から心と向きを変えてイエスに従うこともできます。このUターンを「悔い改め」といいます。すべての罪の赦しを求め、神の御子イエスが、あなたの為にしてくださったみわざを信頼してください。
「イエスに出会いたい」/リック・ウォーレン
イエスが十字架で私たちの罪の代価を払われた時、信じない人々は取り囲んで、主をあざ笑いました。「お前が本当に神の子なら、十字架から降りて自分自身を救ってみろ!」もちろん、イエスは彼らを無視しました。イエスがこの地に来られた目的は、自分を救うことではなかったからです。イエスは、ご自分を救うために来られたのではありません。イエスは、あなたを救う為に来られたのです。
イエスに「はい」と答えることで、あなたが失うものは何でしょうか。罪責感、不安、目的のない人生、死への恐れ、絶望、心配、恥、そして神の導きなしに1人で背負って生きてきた多くの重荷も捨てることになります。このような申し出を拒む人がいるでしょうか。
しかし、神はあなたに選択権を与えられました。あなたは神と離れ、自己中心的な人生を歩み続けることもできます。あるいは、自分の道から心と向きを変えてイエスに従うこともできます。このUターンを「悔い改め」といいます。すべての罪の赦しを求め、神の御子イエスが、あなたの為にしてくださったみわざを信頼してください。
「イエスに出会いたい」/リック・ウォーレン
Thursday, July 23, 2009
キキ
キキをイエス様のもとに送って、今日でひと月がたちました。このひと月は、何かにつけてキキを思い出し、涙、涙で過ごしました。でもたくさんの人の愛や祈りに支えられ、何よりも神様の愛と恵みに満たされて過ごす事ができ、寂しさの中でも本当に感謝にあふれたひと月でした。キキの亡きがらを、その日のうちに実家に車で連れていって、父や母のところで、代々かわいがってきた他のペット達を埋めてきた、庭の梅の木の下に一緒に埋めてあげられたことも、本当に神様の優しい心遣いでした。また、私たち家族のつながりも、キキの死を通してさらに深められたと思います。Kevinのお母さんに、キキのことを報告した時、「これから4週間、自分の為にとって、存分に泣きなさい。そしてまた前に向かって歩みだすのよ。」と言われました。私の父や母も、私の悲しみや寂しさを一緒に受け止め、静かに見守ってくれました。弟や、義妹のTちゃん、親友のMちゃん、教会の人達、本当に私達の悲しみや寂しさを共有し、一緒に泣いてくれました。キキを通していただいた神様からの祝福は、数えきれないくらいありますが、キキの死を通して、なおさらその祝福と恵みが痛いほど身にしみて、キキの存在が、どんなに尊い神様からの贈り物だったのかを思わされています。
他の人が見れば、一匹の猫にすぎなかったかもしれません。でもキキは、結婚したばかりの私が、アメリカでKevinと一緒に自分達の家庭を築きあげる為の大事な土台の一つとなってくれた存在でした。Jが生まれた時から、私達はキキと一緒にJを育ててきたようなものでした。そしてアメリカ中を回ってサポート・ディスカバリーをしている間中、キキはいつも留守番して、私たちが帰る「家」という存在と空間を保っていてくれました。アメリカから日本に引っ越す時も、一緒に飛行機に乗って日本に来て、今度は日本で「我が家」を建て上げるための大事な要となってくれました。変化が多く、たくさんの調整が必要だった時も、いつもキキの存在によって、「ここが私たちの家だ」ということを確認でき、アメリカでの生活と日本での生活の橋渡しとなってくれました。私たちが2度、長期で一時帰国した時も、キキはいつも通り留守番をして、私たちの帰りを待っていてくれました。キキの存在によって、神様は私たちに本当にたくさんの支え、力、励まし、慰め、希望を与えてくださいました。
15年も一緒に過ごしてきたキキ。キキは、漢字で「喜姫」と書きます。私にとって、キキは本当に「喜びをもたらしてくれる、大切なお姫様」でした。キキのいない生活に慣れるには、まだまだ時間がかかりそうだし、今でもキキを思い出して、私と一緒にいないことをしみじみ感じると涙が溢れてきますが、キキと一緒に過ごした15年、本当に幸せな15年でした。私にとっていろんな意味で激動の15年でしたが、イエス様がキキを私達のところに送ってくださって、本当に幸せな感謝な時間でした。おりこうなキキは、死ぬ時も、女王様のようにりっぱでした。私のこと、私が思う以上に、神様が気遣ってくださり、キキをそのように生かし、死なせてくださったんだと思います。キキをいっぱい愛し、キキにもたくさん愛してもらったな…と思います。キキ、ありがとう!
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