Thursday, September 10, 2009

<根気よく祈りなさい>

怠け者のクリスチャンは祈りません。では、怠け者のクリスチャンというのはいるのでしょうか。祈らないクリスチャンというのはいるのでしょうか?クリスチャンの冠と神の御国が小さくなることがありえるでしょうか。臆病な軍人というのはいるのでしょうか。聖徒に見える偽善者というのはいるのでしょうか。慈悲深い悪があるのでしょうか。このような不可能が可能になった時、祈らないクリスチャンも存在しえるのです。

祈るふりをすることは難しくありません。静かに品良く祈ることも難しくありません。しかし、地獄に莫大なダメージを与えるまで、ぶ厚い鉄の扉が開かれるまで、山のような障害物が取り除かれるまで、霧や雲が晴れて太陽の光が照らすまで、心を注いで祈ることは実に難しいことです。しかし、これは確かに神の働きであり、人間ができる最高の労働です。祈る手や頭、心の労は決して無駄になることはありえません。

何の声も聞こえないのに、根気よく祈って待つことは、決してやさしいことではありません。しかし、神が答えてくださるまで待たなければなりません。祈りが答えられた時の喜びは、子を産む痛みに耐えた母の喜びであり、鎖をはずされて新しい人生と自由を得た奴隷の喜びなのです。

「祈りは強い」/E. M. バウンズ

Monday, September 7, 2009

楽器店へ

ひさ〜しぶりに、ちょこっと電車に乗って楽器店に行ってきました。この秋から教会のHちゃんにピアノを教えることになり、いいピアノ教材を探して、調べて、いろいろ勉強してきましたが、今日はいよいよ教材を買いに、楽器店に行ってきたわけです。

出かける前に、「神様、どうぞ私とHちゃんが一番使いやすい教材を選ぶことができますように、助け導いてください。」と祈って出かけました。

うちの近くにあった小さな楽器店が、去年アメリカから戻ってきたら居酒屋に変身してしまっていて、それ以来すごく不便でした。今日行った楽器店は、J駅の南口の目の前にあり、総合楽器店としていろいろなものが売っているのでとっても便利。その上電車の往復も楽だし、わざわざ銀座とか遠くにまで出かけて行く必要もなく、この楽器店の存在をおしえてもらった時は、「神様、ありがとう!」と感謝感激でした。

さて、いよいよ楽譜売り場に行って、リストにあげていた教材を見つけたり、自分のリストにはなかったものでも、実際に内容を見て検討したり…、小1時間ほど考え、検討してきました。その時思い出したのは、私の2人のピアノの先生達から言われたこと。「自分で教えやすい教材を、自分で探して使いこなすこと」でした。

リストにあげた教材はいろいろありましたが、実際に教材を見てみると、どれも一長一短で(もちろんですが)「さて、これを使って教えるって、実際どうなんだろう…。」とかなり考えさせられ、実際のレッスンを思い描いてシミュレーションしたり、頭がフル稼働していました。

そうしていろいろ考えたり祈ったりしている中で、だんだんに、自分がまず教えたいこと、何から始め、何を教えようとしているのか…ということが自分の中ではっきりしてきて、それに合った教材を探すようになっていきました。普段いろいろ考えてばかりの私ですが、エッセイ調に考えるのは好きでも、分析/解析は苦手です。だから、このプロセスは、神様が私の中で働き、教え、導いてくださっているんだということがよくわかり、とても嬉しくなりました。神様と一緒ということが、本当に感謝でした。

自分の考えていることや教えたいことはわかってきたものの、じゃあ、どの教材にする?ということが次のステップ。アメリカでも教会のお友達の娘さん(当時1年生)にピアノを教えたことがあり、その時に使っていた教材がとても使いやすくて気に入っていたのですが、それは日本では売っていないと思ってました。ところが!ふと手に取った楽譜が、アメリカで使っていたものを訳した教材でした。なんと2008年に翻訳出版されていたのです。思いがけない出会い?にびっくり&感激で、もちろん、その教材を使うことに即決定。もう1つ併用する楽譜、五線紙、レッスンノートを買って家に戻りました。

レッスンを始める前から、こんなに神様がよく導いてくださっている、Hちゃんのピアノレッスン。神様がどんなふうに祝福してくださるのか、とても楽しみです。そして、みこころだったら、ピアノのレッスンを通してHちゃんとの交わりが深められ、Hちゃんの信仰の成長にも用いられていきますように…と祈らされています。私も、ピアノのレッスン=先生達との信仰の交わりの部分が多かったし、その中でピアノと共にたくさんのことを教えられ、育てていただきました。これからどんなふうになっていくかわかりませんが、私が受けた恵みを分かち合う時間にもなればいいな〜と思っています。電車で出かけて疲れましたが、神様と一緒に楽しく楽器店に行き、期待以上の収穫を得られて感謝でした。

Wednesday, September 2, 2009

<成功の秘訣>

「六日薬局に行きましょう」の著者キム・ソンオ氏は、馬山(マサン)郊外で、4.5坪の小さい薬局を運営していましたが、今では韓国の財界が注目する、インターネット教育業界のCEO(最高経営責任者)です。彼が語る成功の秘訣は、すべてにおいて聖書に原則を置くこと、そして顧客を感動させる「感動経営」です。

どの分野であっても、成功する為には人の心をつかまなければなりません。しかし、誰かの心をつかみ、感動させるということは決して簡単ではありません。まず自分自身の心が神の感動によって満たされてこそ、他の人の心をつかむことができるのです。

キム・ソンオ氏は、薬局を訪れる顧客の名前を一人一人覚え、また周辺住民たちに仕える「感動経営」によって、開業12年で200倍を売り上げた企業へと成長させました。彼はその秘訣を聖書から探し出したと言います。資本もなく、天才的な能力もありませんでしたが、聖書の原則を守り、成功したのです。

彼は貧しい牧師の息子として、無一文で薬局を始めましたが、厳しい信仰教育を受けていたので、人をだましたり、見栄をはったりしない生き方をしていました。両親の信仰教育と聖書が事業の資産になったのです。彼は聖書どおりに生き、事業をし、人間関係を築くならば、必ず成功すると語っています。

このように、私たちの悪い環境も、神の感動によって包まれる時、すべての人の記憶に残る信仰の場所へと変えられ、そこは光り輝く場所として人々に覚えられることになります。

「家庭よ生き返れ」/キム・ヤンジェ

Monday, August 31, 2009

夏休み その3

夏休み:その3は、「模様替え、片付けと掃除」

我が家の家具は、アメリカで買ってはるばる日本まで持ってきた家具ばかり。日本に来る前に、新しく買って持ってきたものもありましたが、それ以前から使っていたものもあり、しかも、材質が本物の木じゃないので、かなりボロボロになってきていました。近年、その傷み方やゆがみがひどくなっていたので、「日本に来てから10年以上たったし、そろそろ家具も買い替えを考えないとね…。」と話していました。でも、お金もかかるし、家具を替えるなら部屋の使い方も変えようかとも思い、そう考えるとものすごいことになってしまうので、話をしつつも、さっぱり現実味を帯びていませんでした。

でもこの6月にキキが天国に行き、いつもキキが寝ていたピアノ(クラビノーバ)の椅子の下とか、ソファーとか、見慣れた部屋の中にキキがいないという光景があまりに寂しくて、私が泣いてばかりいたので、Kevinが、部屋の模様替えを決行!(もちろん、ちゃんと二人で話して相談して決めたのですが、最終的なGOサインはKevinが決めました、ということです。)

そして、IKEAという輸入物の家具屋さんで、DIYの家具を買いました。それを組み立て、今まで使っていたものを処分し、Kevinの書斎を移動し、リビングルームに新しい家具を置き、クラビノーバをリビングルームから1階に移して、私のレッスン部屋+ゲストルームにして…と、すごい模様替えをしました。一度にできることじゃないので、夏中かかってちょこちょこと進めていきました。

ピアノを移す時とか、今まで使ってきた家具を処分するとか、私は大泣きしながらでしたが、驚いたことに、移動や処分の時は心が痛んで大泣きしたのに、新しいものがおさまると、なんだかすっきりしました。そして、キキのことも、「寂しい〜」と泣く涙から、懐かしい大切な思い出、宝…というように私の中であたたかく変化し、悲しい涙を流すことがなくなりました。「変化」のもつ意味を、今までとは違う感じで経験できたような気がします。

それに伴い、あちこち片付け、整理し、処分し、今までできなかった所の掃除をし…と、家族中でよく働きました。Jも自分の部屋を整理し、処分したり、片付けたり、日頃ママが手抜きしているお掃除を自分でしっかりやったりして、Jの部屋もずいぶんすっきりと綺麗になりました。この状態を保つのが課題だな!というのは、Jと私の課題ですが…f(^_^;)。

私も、目についた時にちょこちょことですが、ガス台や換気扇、水道栓やキッチンカウンターなどの掃除をしました。結構忙しい夏だったのに、「気づいた時にちょこちょこ掃除」の継続効果はばっちり出たような…?(…と言っても、決して家中ピカピカにできたわけではなく、かなり私の「へぇ〜、私もよくやったじゃない。」という自己満足が大きいですが。)

それにしても、Kevinが整理整頓の名人ということはわかってましたが、まぁ〜、よく働くこと、よく気がつくこと…と改めて思いました。Jもよく手伝って、父子でDIYの家具組み立てをしている様子は、とてもほほえましい、嬉しい光景でした。

まだ100%完了したわけではありませんが、この秋から教会の子にピアノを教えることになり、また私の両親も泊まりに来る予定なので、その為に使える部屋も準備できたし、秋からの生活や働きの為、心新たに、いろんなものをもう一度主にささげ、祈りつつ励んでいきたいと思っています。

<お前のために何をしてあげようか>

神はあなたの祈りに関心を持っておられます。なぜなら、神はあなた自身に強い関心を持っておられるからです。あなたにとって重要なことは何でも、神にとって最も優先される関心事になります。神にとって、今あなたの人生で起こっていることよりも重要なことは、地球上のどこにもありません。あなたは神の関心を引く為に、神をわずらわせる必要がありません。

あなたにとって本当に重要なことが何であるかを知る為に、何時間もひざまずいて祈る必要も、断食する必要もないのです。神はあなたの父です。ですから、あなたが言いたいことがあるなら、神は聞きたいと思っておられます。事実、神はあなたが呼ぶことだけを待っておられます。

もし私の子どもが私に電話をかけてきて、「お父さん、どうかお願いします。大きなお願いがあるのです。私の切なる願いを聞いてください。」と言うならば、私はこう言うでしょう。「そんなに遠回しに言うことも、必死になる必要もないんだよ。私の人生でお前より重要なものがあると思うのかい。さぁ、お前の為に何をしてあげようか。」

「わたしの臨在の中に入れ。」と神は語られます。「わたしに話してくれ。お前のすべての心配事を打ち明けてくれ。わたしはお前に一番関心があるんだよ。お前の父だからね。わたしにはお前を助ける力がある。天と地とすべての権威がわたしのものだから。そして、わたしはお前の声がとても聞きたいから、いつも耳を澄ませているんだよ。」

「忙しすぎるから祈ります」/ビル・ハイベルズ

Friday, August 28, 2009

夏休み その2

夏休み:その2、はプール編。

「夏休みには、3回か4回くらいプールに行きたいなぁ。」と、夏休みが始まった頃に、Jが言っていました。サマースクールがあった2週間は、教会では子どもの英語クラス「English Bee」もあったし、忙しくて行けませんでしたが、Kevinが都合を合わせ、時間を作って、2回くらいJを市民プールに連れて行きました。

いよいよ夏休みも終盤になり、家族で夏休みを取ろうかと計画した時も、真っ先に出たのは「プール」。そこで、夏休みのお楽しみに、いつもKevinとJが行っている市民プールではなく、遊園地のプールに家族で行こう!と言うことになりました。普段は、私は一緒に行かないのですが、夏休みのお楽しみだし、どうせ入場券を払わなくちゃいけないんだから、ちょこっとでも水に入るかなと、私も水着を持って出かけたので、Jは大喜び♪

初めて行った遊園地のプール。まぁ〜、さすが遊園地!市民プールとは違うね〜という感じでした。流れるプール、小さい子ども用のプール、ジャンプ用のプール、波のプール、スライダーなどなど、種類もいっぱい。中にはレストランもあって、プールサイドでラーメンを食べている人もたくさんいました。うちは食べなかったけど、ラーメン大好きな私には、かなりな誘惑…?とってもおいしそうに見えましたf(^_^;)

いつも行く市民プールは室内プールですが、このプールはもちろん屋外。ひ弱な私、屋外だと太陽の照りつけですっかり疲れてしまうところでしたが、その日は曇り気味で、外にいてもあまり日があたらなくて、プールサイドで本を読んだり、KevinとJが流れるプールで泳ぐのを見たり、Jがスライダーで滑ってくるのを眺めたり、Jと一緒に波のプールに入ってみたり…と、私も楽しく過ごしました。

特筆すべきは、Jがジャンプ台からジャンプしたこと!サイズの違うジャンプ台が3つあり、小、中の台でジャンプしていたJに、Kevinが「あの大きい台(たぶん2Mくらい?)からジャンプしたら、今週のお小遣いは2倍!」と激励。「まさか、あんな高い所からジャンプしないでしょ。」と思っていたのに、Jの返事はなんとびっくり!「やってみる」と。

監視員のお兄さんが、順番でジャンプさせてくれるのですが、Jがおっかなびっくり一番高いジャンプ台に上がって、自分の順番を待っていたところ、なんと、一番小さいジャンプ台からジャンプした幼稚園くらいの男の子が、一瞬おぼれて、お兄さん達に助けられるというハプニングが!(その男の子は、何事もなく無事でした。良かった、良かった。それにしても、一瞬おぼれた途端に、そばにいた監視員のお兄さんの笛の合図で、他に2人のお兄さん達がさっとプールに飛び込み、見事なチームワークでその子を助けてあげたのには感心しきりでした。)その光景にびっくりして、Jがそろそろとジャンプ台から降りてきたので、「こりゃあ、もうやらないって言うのかな。」と思っていたら、お兄さんに「いいよ。」と声をかけられたJ、また果敢にジャンプ台に登っていきました。

「ピー!」という合図の笛の音と共に、ザッバーン!と見事にジャンプ成功!!!

プールの方は、ジャンプ用なので水深5Mもありますが、ジャンプした後はスイスイと泳いで上がってきました。

あとで「どうだった?怖くてやめたくならなかったの?」と訊いてみたら、「ちょっとドキドキしたけど、思いきって飛び込んでみて、『お〜、楽しい〜!』って思った。」と満足げに話してくれました。

ずいぶん大きくなって、男の子らしく、頼もしくなってきたんだなぁと、しみじみ思いました。楽しい家族プールの時間でした☆

<聖書にもっと近く>

私が聖書をしっかりと研究し始めた時、他の聖書研究者たちが、研究初期に経験したことと同じ道を辿りました。その時の私は、聖書のある部分が理解できず、またある部分を信じることができないでいました。そして聖書の中のある教えは、聖書の他の部分に出てくる教えと完全に矛盾していると感じました。そして、たくさんの人々がしたように、私は、自分が賢明な教えだと思える部分だけを受け取っていました。

しかし、聖書研究をすればするほど、神に近づけば近づくほど、聖書の中の理解できない部分が消え始めました。初めは一つずつ消え始め、次に二つずつ、その次には数十個ずつ消えていきました。月日が経つと、理解できない部分が驚くほど少なくなりました。

それと同時に、神に近づくほど、聖書に近づいていく自分を発見することができました。神に近づくということは、さらに聖書に近づくということを意味するのです。

ここに、誰も否定することのできない、数学的な真理があります。二つの線が、ある特定の点に向かって行くと、その点に到達した時、お互いにぶつかります。この数学的な真理に深い意味が込められています。

私は、神に近づくほど、聖書に近づいていきました。神と私が出会う時、聖書と私が出会うのです。聖書は神の観点で記録された本です。正直な人なら、この結論を、決して否定することはできません。

「みことばの霊を受ける方法」/R.A.トーレイ