Thursday, September 10, 2009

<聖さがこめられた礼拝>

ケンタッキーで高校に通っていた頃、私は交響楽団でオーボエを吹いていました。指揮者が演奏曲を発表すると、私たちは各自、楽譜を家に持ち帰って練習しました。次の合奏の出来は、家でどれだけ練習したかにかかっていました。

礼拝も同じです。公園のステージで「クリスチャンであるないに関わらず、100名の人々を集め礼拝しよう。」と言うなら、それは話にならない馬鹿げたことではないでしょうか。神は、私たちが礼拝に集うとき、会衆一人一人のうちにある聖霊の臨在を探されます。

偉大な指揮者アルトゥーロ・トスカニーニは、耳が非常に良く、4列目の5番目のバイオリン奏者がわずかに音を外したのも聞き分けたと言います。神も、このように私たちを細かく知っておられます。私たちは主をだましたり、ごまかしたりすることはできません。

私たちは、1週間のうち6日をでたらめに生きて、聖日だけ敬虔にふるまうようなことは、やめなければなりません。どんなに教会がリバイバルしても、教会員がそれぞれ、個人の生活において指揮者の楽譜に従わなければ意味がありません。オーケストラが出す音は、各楽器の音を合わせたもの以上にはなりません。私たちの礼拝も、それぞれが自分の楽譜に正確に従って、神に栄光を帰す合奏をしなければなりません。

「礼拝に隠された秘密」/R. T. キャンダル

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<一節の黙想>第1歴代誌 15:15

にない棒など重要でないと片付けてしまうこともできますが、私たちの人生の中で、私たちを倒すのは、そのような小さなものです。私たちは、にない棒を得る為に準備したり、にない棒を肩に担ごうとする苦労をしようとしません。車を利用する方がはるかに簡単だからです。しかしダビデは、神が重要であると思われることを重要視しました。神が重要視されることを重要視してください。

チャールズ・スウィンドル/アメリカの神学校総長

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