みことばを黙想しながら思うのは、神が私達に何かをさせられる時、なぜ、いつも忙しく、目が回るような時ばかりを選ばれるのか、ということです。お金も少しはあって余裕がある時には、献金についてあまり語られないのに、当面の生活も苦しい時に限って、献金しなさいと語られます。忙しくて倒れそうなのに、時間を作って奉仕しなさいと言われます。心に余裕がなくてトゲトゲしているのに、愛しなさいと言われます。もしかして神は、悪趣味なのではないか、とまで考えます。
しかし、もう一度考えてみると、神がそのようにされるには理由があるのです。最も大きな理由はこれです。私達が日々追われているが故に、追われながら絶望して、そのまま死ぬしかないが故に、神の働きをくださるのです。神が定められた日々を、虚しく生きることが罪であることは知っています。しかし、まず今、食べて生きていかなければならないという、目の前の現実に追われる中で、ただ必死に生きていくしかないのです。実に悲しく、やるせない現実です。
しかし、このように何かに追われる状況の中では、成熟や勝利は絶対にありえません。ですから神は、私達がこの悪循環から抜け出せるようにされるのです。
神は、私達を苦しめる為にではなく、私達を愛しておられるが故に、介入されるのです。今、食べて生きることにのみ、忙しい状態を続けていれば、死ぬまでそのようにして生きて、死ぬしかないのです。ですから、献身の決断を促し、介入されるのです。それは、全的に私達を愛しておられるからです。
神の命令が下った時、私達に必要なことは、理解と納得ではなく、従順と決断です。
ただそのまま決断し、従うだけです。
神の自信/ユ・ジンソ
Tuesday, February 3, 2009
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2 comments:
久し振りですね。神さまの召しに理解と納得ではなく従順と決断。全くですね。何で今?神さまの悪趣味とは思わないまでも、あ~とため息がでてしまったことは幾度もありましたが開かれた、いつも祈らずには進めない道は、確かに神さまが先立って下さいました。今の時期、合格、不合格どちらであっても必ず、神さまに繋がる道であるようにと祈らされます。
「神様を神様とする」信仰にはほど遠く、しょっちゅう神様を追い出して、自分が神様になってしまっているのか、「罪」の深さを、しみじみと思わされた文章でした。でも、忍耐強く愛し、育て、教え、導き続けてくださる神様への感謝も、100倍になりました。「理解と納得」ではなく、「従順と決断」をもって主を愛し、仕える者としてくださいと祈らされますね。
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