多くの場合、私たちは自分がしたことや作り出したものに、心を奪われてしまいます。その理由は、私たちが成就した業績によって評価を受け、何かを生産し、形を造り、変化を起こし、この世に影響を及ぼそうとする、本能的な欲求があるからです。それ自体が悪いというわけではありません。神はこの世を治めるように私たちを召されました。しかし、私たちのすべての努力が完全に無駄になってしまうこともあります。私たちの熱心さが、偶像崇拝になることもありえるのです。
ですから私たちは、仕事に対する責任感からではなく、仕事が持つ支配力から自由にならなければなりません。エルロールは、「自我からの解放が持っている最終的なものは、『自分の手ですること』からの解放」であると指摘しています。
自分がすることや、自分の成した業績が、自分の存在の核心には成り得ません。神は、ご自身の仕事を共に成し、この世を変える者としての「同労者」として私を召されましたが、神は何よりも、私の今の姿をそのまま愛しておられます。実際、神は大変弱く足りない私を、そのまま愛しておられます。
自分の存在を決定する核心は、このように「神から受け入れられること」にあります。私は、偉大な恵みと慈しみの神に、驚くほど愛された存在であり、私がするすべての行ないを通して、神を完全に喜ばせる生活をすることができます。
「ジャック・エルロール黙想集」/チャールズ・リングマー
Friday, August 21, 2009
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