キリスト教私立高校に通っていた一人の少年が、ある日偶然に、このような話を聞きました。
「あなたが神様の為にするすべてのことは、神との親密な関係からなされるものでなければなりません。」この言葉が少年の脳裏から離れませんでした。
深刻に思い悩んだ少年は、近くの川べりに行き、あれこれ思いめぐらしながら、川の水に石を投げました。「ポチャン、ポチャン」また石を投げようとしたところ、心の中でこのような声が聞こえました。「わたしも一緒にしてもいいかい?」少年は、もしかして神様の声じゃないかと思いましたが、そのままやり過ごしました。すると、その声は繰り返し聞こえてきました。少年は結局、石を投げるのをやめて、天を見上げながら話しました。「神様、私と一緒に石を投げて遊ぼうと言われるんですか?どうして、こんなくだらないことをしたいと言われるんですか?神様は、この世のもっと大きな問題に神経を使わないといけないんじゃないですか?」すると、再び声が聞こえてきました。「私はただ、あなたと一緒にいて、親しくなりたいだけだよ。」
まさにその日、15歳の少年だった私は、イエスが本当に私を深く愛しておられるということを悟りました。イエスは、私が休んでいる時や、一人で川に石を投げている時も、私を愛しておられます。イエスは何の条件も制限もなく、私を愛されます。
「美しい力の道、イエス」/ダン・バウマン
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*一節の黙想:第1ヨハネ4:7
私たちは愛する力がなく、他の人を愛してもすぐに底をついてしまうと考えます。しかし、決してそうではありません。水道管を見てください。それはただの空っぽの管にすぎません。しかし、水資源とつながる時、すさまじい水が供給されます。私たちは神の愛の通路であり、全てのものがそのお方から来ます。私たちが他の人を祝福し、愛することのできる力を主が供給してくださいます。私たちは、何もなくても愛することができます。私たち自身が主の愛の通路だからです。
キム・ソテク/韓国の牧師
Saturday, October 10, 2009
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