この世の観点で見ると、神を礼拝することは時間の浪費です。これは明らかに尊い時間の浪費ですが、時間の浪費であることには違いありません。しかし、礼拝を実用的な観点で理解してはなりません。
私たちが礼拝するただ一つの理由は、神が礼拝を受けるにふさわしい方であるからです。礼拝は、まことに尊い時間の浪費です。礼拝は私たちを、宇宙の王である神の尊い輝きの中に引き込むからです。「輝きに浸かる」という言葉に込められたイメージが好きです。まるで暑い夏の日に、山にあるサファイヤ色の湖に飛び込むかのようです。これと同じように、礼拝も、神の崇高なご性質と好意に私たちを浸からせようとします。
しかし私たちは、礼拝を個人的な好みや時間、便利さや慰めの問題に変えようとする時代と文化の中に生きています。ですから、礼拝において可能な限り神と深く出会い、神を体験しなければなりません。そうすれば、社会的な怠慢と空想から目覚め、しっかりと神の輝きを仰ぎ見、拝し、敬い、奉仕と犠牲によって応えることができます。神を礼拝する時、私たちは力や成就や成功ではなく、隣人を愛することに時間を浪費するようになります。
礼拝は、クリスチャンとして歩む情熱を与え、さらに情熱的な礼拝へと導く尊い時間の浪費です。礼拝は、時代遅れで、非効率的で、非生産的で、時には私たち自身も満足できないかもしれません。それにもかかわらず、礼拝はこの世を変えることのできるただ一つの希望でもあるのです。
「尊い時間の『浪費』ー礼拝」/マルバ・ダン
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*一節の黙想:第2歴代誌1:6
ソロモンは礼拝に成功した王でした。彼はイスラエルの指導者たちと民を導き、神の前で1000頭のささげものをささげました。全焼のいけにえは傷のないものでなくてはならず、神が受け取られるように、きよくささげなければなりませんでした。1000頭のいけにえをささげる為に、礼拝者達はどれほど多くの労苦と努力を注いだことでしょうか。ソロモンは、心と思いとまことを尽くして神を愛しました。
キム・ヨンオク/韓国教会の牧師
Wednesday, October 21, 2009
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