Friday, May 30, 2008

<降伏文書に署名する>

イエス様に完全により頼むのが難しい理由の1つは、これからのことがわからないからです。しかし、万が一、神が細かいところまですべて記した契約書を差し出すなら、私たちの中の何人かは、すぐさま信頼するでしょう。そして、これからどのようなことが起こるのかを理解するのです。「このことは私に、どのような犠牲を求めるのか。神は、私がどこに行くことを期待されるのか。神は、私が何をすることを臨まれるのか。」このように、私たちは前もって1つ1つ読んで、考えた後で決めることができるように求めます。

しかし、これは神のやり方ではありません。神はこのように語られます。「ここに白紙がある。一番下にサインした後で提出するように。そうしたら、あとの細かいところは、わたしがすべて補う。なぜならわたしが神だからだ。わたしがあなたを買ったのだ。わたしは信じられる存在だからだ。わたしがあなたをどれほど愛しているかは、あなたが知っているからだ。あなたは自分が高められる楽しみの為に生きるのではなく、わたしの栄光の為に生きるように造られた存在だからだ。」

私たちは、この世で尊いと思うものや、必ず必要だと思うものを失うかもしれません。しかし、実際には何も失うものはないのです。なぜなら神は、完全に信頼できるお方だからです。ですから、私たちが同意するならば、神は私たちの人生の細かいところを、ご自分の知恵と主権による計画で、また誠実と愛という計画で満たしてくださるのです。

「神が治められる意志、ゆだねる」:ナンシー・リー・ディモス

Thursday, May 29, 2008

ランチ

Jの通っている学校には、学校のカフェテリアがありません。それで、子ども達はみんな、お弁当を持っていきます。…と言っても、日本のように多彩なお弁当ではありませんが。アメリカの学校の様子が全然わからない私。しかも、学校に通っている子ども達のご両親とも、ほとんど面識もないし、最初は特に、Jに「みんな、どんなランチ持ってきてる?」と聞きながら、Jの好み、ほかの子ども達の様子をうかがいつつ、ランチを作っていました。今は、かなり事情もわかり、アメリカでの「ママ業」も板についてきたような…?

1年生の最初の頃は、サンドイッチの中身を、ビーナッツバター&ジャム、卵サラダ、ツナにしていました。ところがある日、「何のサンドイッチもってきたの?え?ツナサンド?うわぁ〜、ぼく大嫌い!」と、誰かお友達に言われて以来、「学校に持っていくサンドイッチは、ツナと卵はなしにして。お友達に『うわ〜』って言われるから。」と、Jにきっぱりと断られてしまいました。でも、毎日ピーナツバター&ジャムじゃ飽きてしまうし、ランチミート(スーパーには、「ランチミート」セクションがあり、日本のハムみたいに、ハム、チキン、ビーフ、ターキーなどのスライスを売っています)にレタス、ピクルスのスライスを入れてサンドイッチにしてあげたところ、Jも気に入り、お友達の「うわ〜」もなかったので、今回、5年生:6週間の学校生活のランチは、チキン+レタス+ピクルス+マヨネーズか、ビーフ+レタス+ピクルス+ケチャップのサンドイッチを交互に作って持たせています。それに、人参かリンゴを切ったものを添えて…。

週に一度、水曜日には、希望者に「ホットランチ」の給食があります。1年生の時は、火曜日に学校からのお便りと一緒に、ホットランチの申し込み書が来て(メニューと代金が書いてあります)、水曜の朝にお金を持たせる、というやり方でしたが、今回はシステムが変わって、3ヶ月分ごとに一括申し込み、ということになっていました。メニューは、タコス、ピザ、ホットドック、バーベキューハンバーグを交互に。今回は1度、ただでサブウェイ・サンドイッチを注文でき、また1度はデザートにアイスクリームを注文できることに!毎回の代金は、75セント〜1ドル、一番高くても1ドル25セントと、格安のホットランチ。役員のお母さん達が交代で、ホットランチを準備する係になってくださっているようです。どこの国でも、お母さんパワーと、お母さんのご労には感謝、感謝ですね。

ランチの他に、私が個人的に「いいなぁ」と思っているのは、スナックタイム。朝ご飯をちゃんと食べて学校に行っても、やっぱりお昼までにはおなかもすくし、エネルギー補給が必要な、育ち盛りの子ども達。アメリカの学校では(そうじゃないところもあるかもしれませんが、私の知る限り、スナックなしの学校は、ほとんどないでしょう)、午前中なかばの休み時間に、スナックタイムがあります。1種類のおやつだけ、というルールになっているようですが、それぞれにクッキーなどのおやつを持っていって、スナックを食べて、あとは元気に外で遊ぶのです。個人的には、日本の学校でもぜひ、スナックタイムがあればいいのに…と思っています。別に甘いものに限らなくてもいいわけですしね。いい意味でエネルギー補給しながら、「良く遊び、良く学べ」子ども達!一人一人がみんな、イエス様のように、神と人とに愛され、強く、優しく、イエス様のお役に立つ人に育っていきますように…。

Sunday, May 11, 2008

アメリカでの学校生活

4/28から、1年生の時に6ヶ月、3年生の時に2日、去年の秋に1週間お世話になった、クリスチャン・スクールの5年生のクラスに入れてもらっているJ。1年生の時は、「毎日遊びに行っているようなものだった。」し(本人の談)、3年生と去年は「ビジター」だったから気も楽だったけど、今回は、年度末で夏休みを迎えるまでしっかり6週間の通学!それに5年生の勉強は、日本語でするのも大変だったのに、しかも全部英語のみ!の内容なので、さすがにかなり大変そう…。でも、毎朝家族で祈って学校に送り、Jも大変だなと思うたびに、自分でイエス様にお祈りしながら励んでいるようです。宿題も結構難しくて、ママの手伝いも、手伝いにならないこともあるけれど、毎日ちゃんと学校に行き、それなりに一生懸命勉強し、1年生の時からの仲良しのお友達や先生方と、楽しく過ごして帰宅するJの姿を見ながら、本当にイエス様が育ててくださっているんだなぁ〜と、感謝、感激でいっぱいの私です。

さて、先週の金曜日、「校内マラソン大会」のような行事がありました。事前には、なんだかよくわからなかったのですが、帰宅したJが、「16周走って、黄色のリボンもらってきた!」と見せてくれました。「へぇ〜、16周も走ったの?すごいね!」と感心したのですが、実はもっと心あたたまるお話があったのでした。

あいにくの雨だったので、どうやら校舎の中を走る/歩くという内容になったマラソン大会。何周走ったかによって、もらうリボンの色が違うのでした。ブルーの好きなJは、本当は20周以上走って、ブルーのリボンをもらいたかったんだそうな。でも、1年生の時からの仲良しのA君が、その週の初めに右腕にひびが入る怪我をして、ギプスをしているし、走ると痛むので、みんなと一緒に走れない状況でした。それで、A君の怪我の状態を考慮して、「走る」のでなく、A君と一緒に、「歩く」ことにしたJ。A君の腕が痛くならないように、A君がひとりぼっちにならないように、ず〜っと一緒にゆっくりと歩いたのだそうです。

「本当はブルーのがほしかったんだけど、A君と一緒に歩いたから、16周で、黄色のリボンだったの。ちょっと残念だったな…。」と言っていました。残念がる理由は、たぶん、この学校に、また長期で行けるかどうかわからないので、これが最初で最後のマラソン大会になるかもしれないから。。。っていうこともあったのでしょうね。

でも、Jの話を感心&感激して聞いていたママには、黄色のリボンは、「黄色」じゃなくて、「金色」のリボンに見えたよ!大変な時、悲しい時、困った時、嬉しい時、楽しい時、どんな時にも、自分でイエス様にお話しし、祈り、イエス様と一緒に歩む恵みを日々体験しているJ。Jを通して、イエス様の愛と優しさを、まわりの人に分かち合う恵みもいただいているんだね。これからも、ひたすらにイエス様を見上げ、愛し、慕い求め、従い、仕える子として成長できますように、祈りが深められるママでした。

Thursday, May 8, 2008

<クリスチャンの罪の結果>

罪の結果は、交わりの喜びを失うことです。聖徒が罪を犯したからといって、救いがなくなるのではありません。しかし、罪を繰り返すならば、明らかに救いの喜びを失うのです。

あなたが堕落して神から離れていないかどうかを知りたいなら、その喜びを一度確かめてみてください。方法はとても簡単です。今、心の中に「言葉に言い表せないほど輝かしい喜び」があるかを知ればいいのです。もしそうでないなら、あなたは神と交わっていないのです。その喜びを奪い去るただ1つの方法は、あなたの罪です。他の人があなたにどうしたかが、あなたの喜びを奪い去るのではなく、他の人達がしていることに対するあなたの反応が、その喜びを奪い去るのです。妻、夫、子ども、職場の上司などが、あなたを悩ませることはありますが、あなたの喜びを妨げることはできません。彼らがすることに対するあなたの反応が、その喜びを奪いさっていくのです。

聖徒が喜びを失うということは、とてつもない損です。世の中で最も哀れな人は、救われていても、主との交わりが途絶えている人です。主は私達を救われた時、私達がもはや罪を犯せないようにはされませんでした。もし、そうされたのなら、私達はロボットになってしまったでしょう。主は、私達が罪を犯すことはあっても、それを楽しむことができないようにされました。もしあなたが苦しんでいるなら、その分だけ喜びを知ることのできる理由があるということです。あなたはその喜びによって、大胆に苦しみに勝利できるのです。

「神の臨在の力」:アドリオン・ロジャース

Thursday, May 1, 2008

ウィスコンシン州での修養会

先週のことになりますが、木〜土と、ウィスコンシン州で行なわれた、牧師/牧師夫人の為の修養会に行ってきました。…と言っても、アメリカの教会の牧師でない私達は、WV中西部ディレクター、コーブ先生の代わりに、WVと私達のミニストリーを紹介する為に行ったのでした。Jも、学校は4/28から登校、ということになっていたので、家族3人で行きました。

とっても大きな湖のほとりのホテル。天気が良かったらどんなにかすてきな眺めだっただろうと思うのですが、残念ながら、シカゴよりももっと北の方にあるウィスコンシン州は、まだ「冬」という感じ。しかも、修養会の間中、お天気は「曇り」または「大雨/強風/竜巻警報」が出るほどの悪天候。でも、ひろびろ〜とした湖、嵐に荒れた湖の様子を、ホテルの部屋から眺めるのも、またいい経験となりました。

ゲスト・スピーカーは、スティーブ・マクベイ(Steve McVey)先生。「Grace Walk Ministry」を創立し、本、DVD、また修養会、セミナー等で活躍しておられる先生です。お話の仕方も、例話も、内容も本当にすばらしく、引き込まれるメッセージでしたが、何よりも、律法的になりがちな私達人間が陥りやすい罪と、神様の恵みの深さ、豊かさを、もう一度深く教えられた、恵みの時でした。メッセージの合間に、先生とお話することができ、先生のご本が今、日本語に訳す作業中であることを教えていただきました。ぜひ買って読みたいし(と言うか、英語の勉強に英語の本を読むのもいいかな〜と思ってますが)、出版されたら、このブログを読んでくださっている方にも、ぜひ読んでいただきたいおすすめの本です。あまりにも感動が大きくて、今はまだいろいろ思いめぐらしている段階なので、ここで恵みの分かち合いをするには、時期早々なのですが、ゆっくり思いめぐらし、少しずつ咀嚼し、消化して、「主の恵みによって生きる」者になりたいと、今まで以上に思い、祈りを新たにさせられたメッセージでした。

2日目の朝は、ジル・スワンソン(Jill Swanson)さんという方がスピーカーで、女性だけのブランチ。これもまた、神様がそれぞれに与えてくださっている内面、外面の美しさを引き出し磨いて、主の目にかなって尊く、美しく、輝く花嫁と成長する為の、いろいろなことを教えられました。外面的なこと、内面的なこと、本当に「主に愛されている女性」として生きることの祝福と幸いを改めて思いました。

夜は「Fun Time」ということで、クリスチャンのエンターテイナーの方が来られて、いろんなパフォーマンス、ドラマ、賛美などをしてくださいました。これもまたすばらしかったです。

3日目の朝は、WVと私達の日本での働きを紹介する時間がありました。朝8時から8時半までの30分。私も証をしました。証の内容は…

「かおり」という名前は、クリスチャンホームに生まれた私に、両親が第2コリント2:14-15のみことばより、「キリストのかおりをはなつ子になるように」という祈りと願いをこめてつけてくれた名前であること。

そして、両親が救いに導かれたのは、ミーコ先生ご夫妻が宣教師として日本に来られ、先生ご夫妻と陶山先生の働きの実の1つであること。

また私は、ミーコ先生が、よく若い人達を丘の上に連れていって、「ここから教会が見えますか?」と訊かれ、「もし見えなかったら、ここに教会を建てるのは、あなたの責任です」と言われたことに霊的に深く感動し、チャレンジを受け、「ミーコ先生、陶山先生の幻と働きを、何らかの形で受けつぐ者としてください」と祈り、献身したこと。

神様は、私以上にその祈りを覚えて、真剣に受け止めてくださり、今、アメリカ人の夫と一緒に、ミーコ先生と同じ宣教団から、日本へ宣教師として遣わされ、ミーコ先生が言われたように、新しく教会を建てる働きをしていること。

でした。

いろんな素晴らしいメッセージで恵まれ、心満たされ、みことばに養われたあとに、もう一度自分の歩みを振り返ってみた時、本当に、神様はなんと真実に私達を導いてくださっているんだろう…と思い、感謝/感動でいっぱいになりました。いろんな面から、いろんな意味で神様の愛によってリフレッシュされ、力をいただいて家に戻ることができました。

いよいよ、教会訪問、ご奉仕が始まるにあたり、修養会で受けた恵みの実践、みことばを実行する時となります。イエス様のみこころを知り、イエス様の力と恵みによって、イエス様に従うことができますように、その中で、ますます主に近く引き寄せられ、どんな時にも、主にある喜び、平安、楽しみを、主と共に満喫できますように…と祈らされています。