Tuesday, April 22, 2008

時差ぼけ

今回の飛行機は、成田を午後6時半に出発し、シカゴには現地時間の午後4時半(日本の翌日朝6時半)に到着、というスケジュールでした。Kevinと何時の飛行機がいいかと相談していた時、この飛行機だったら、日本の夜の時間なので、体内時計的にも、飛行機の中で眠りやすいだろう、そして、いくら眠れたとしても、おうちでお布団に寝るようなわけにはいかないから、疲れが残り、アメリカに着いてからも眠りやすいかなと思って決めました。

いつも酔い止めをのむので、その効果もあり、私とJは飛行機の中でかなりぐっすりと眠ることができました。そして、もちろんアメリカに着いてからも眠ったし、「お、今回は結構時差ぼけ楽勝?!」と思っていたのですが…

下手にいろんな知識がついてくると、かえってそういうことが邪魔になっていくものですね。日本へのメールをする、という用事もあるので、「日本は今何時かな…。」とか、すぐに日本の時間を考えてしまうこともあるのですが、「アメリカの時間にかなり慣れてきたかな」と思いきや、結構時差ぼけがきついことが判明!ついつい、自分の中で、自分の知識と方法を探って対応しようとしては、どんどん泥沼化しているような…。(ちなみに、体内時計は、1日1時間しか変わらないそうで、時差が14時間あれば、完全に体内時計が変わるまでは14日間かかるんだそうです。)

今、ヤコブの生涯についての本を読んでいるのですが、その中でいろいろ考えさせられた文章がありました。それは、ヤコブは策略家であり、神様の予定、神様の計画、神様のみわざに信頼して待つより先に、自分で考え、計画(策略?)をたて、行動し、すべてにおいて神様を第一としなかった、ということです。でも、神様の優しく忍耐と憐れみに富んだ愛は、このヤコブをイスラエル(神の王子)へと育てあげていき、「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と呼ばれることを喜び好んで、聖書の中にこの呼び方を書き記されました。いろんな欠点のあったヤコブですが、「神様の祝福を何よりも求めて、それを得られるまではしがみついて離れなかった」その一点を、神様がどんなに喜び、愛し、神の王子、イスラエルへと育てあげられたか…。それを思うと、私自身にも大きな恵みと希望を与えてくれます。

それで、すごく日常的な、些細なことかもしれないけれど、自分のことをいろいろ振り返って考えてみた時、「時差ぼけ」の中に、ヤコブのストーリーを見るような気がしました。別に「時差ぼけ」という生理現象を否定しているわけではありません。でも、それに対応するのに、自分の知恵や知識ばかりが先行していたような…。

そう思ったら、自分でいろんなこと考えて計画し、いろんなことに対処するんじゃなくて、お昼寝する時も、夜寝る時も、「イエス様、どうぞ御手の中でぐっすり休めるようにしてください。」って、小さい時から、夜寝る前に祈ってきた祈りを、そのまますなおに祈って眠るのが一番だな!というところにたどり着きました。「あせらず、ゆっくり…」って思っていても、いつの間にか、神様から目を離させようとしているサタンの計略にはまってしまい、結局自分の知恵と知識に頼り、自分でなんとかしようとしてしまっているんだなぁと気づきました。これがきっと、生涯かけてのチャレンジだし、自分中心でなく神中心へと変えられていく信仰のプロセスなんでしょうね。ヘブル12:2を心に留めて、今日は自分のいろんな思いを捨て、心からイエス様に祈って寝ることにします。

Monday, April 21, 2008

信仰の糧<みことばを柔和に受け入れる>

新しく「信仰の糧」という分類を加えました。この分類では、私がいろいろ読んで感動しては、中学生の頃から特別なノートを作って書きためてきたもの(いろいろな信仰の読み物、信仰の詩、祈りのことば、また、今読んでいるディボーション誌の記事、エッセイなど、etc…)を紹介していきたいと思います。ちなみに、私が書いたオリジナルのものではなく、全部何かからの引用です。どこから取ったのか覚えていないものもたくさんありますが、「信仰の糧」として、私のブログを読んでくださる方のイエス様への愛と信頼と信仰を、励まし、慰め、導く為に、神様が用いてくださいますよう祈りつつ、紹介していきたいと思います。

<みことばを柔和に受け入れる>
韓国にいるとき、OOO画伯(漢字が出てこない上、韓国のお名前で読み方もわからないので、OOOにしました。ごめんなさい!)の絵に非常に強い感銘を受けました。壁のような大型キャンバスに、自由に力強く遊び回って跳ね上がる野生馬達を描いたその腕前は、見事なものでした。手なずけられていない動物達の活力を捕えた彼の腕前に圧倒されて、何時間も絵の前に立っていました。

彼の絵を鑑賞している間、「柔和」または「温順」を表す古代ギリシャ語の言葉に、「野生馬が、主人の穏やかな命令にも従順するように手なずけられた」という意味が含まれていることを思い出しました。馬は力を奪われたのではなく、力を出す方向を、主人の望む通りに調整されたのです。

柔和なクリスチャンとは、意志を神に向けて調整した人、つまり、自分よりも神の意志を優先する人です。心に植えられたみことばを柔和に受け入れることは、聖書を通じて語られる神に、無条件に従うという意味です。またそのお方が、みことばによって、もう一度造ってくださるようにと、自分を明け渡すことを意味します。

神のみことばに従えば、神は私達に、神を愛することのできる力を与えてくださいます。それはまた、仕えるようにと、神が私達のそばに置かれた人達の為に、喜んで献身することができる力です。従順に従う心をもって神のみことばを黙想すると、その黙想が、あなたを世から分離させるのでなく、世の中へさらに深く、捨てられて道を失った人々に、献身的に仕えるように導いてくれることを発見するようになります。

「黙想するクリスチャン」/オ・デウォン

Sunday, April 20, 2008

無事到着

4月16日、成田空港を出発し、シカゴ・オヘア空港に無事に着きました。2008年になってからは特に、一時帰国で4ヶ月アメリカに戻る準備で大忙し。病気とつきあいながら生活している私には、かなりいろいろ大変でしたが、イエス様にすべて守られて、いろんな準備もだいたい終えて(100%完全じゃなかったけど)、無事に日本を出発できたのは、本当に、神様の憐れみと守り、また多くのとりなしの祈りと助けの故でした。どうもありがとうございました。

前回、去年の秋に戻った時は、Kevinの実家の地下室は、私達が住めるように、ベッドルーム、リビングルーム、キッチンができていましたが、トイレ、シャワーは上(1階)のものを使っていました。でも今回は長期の滞在だし、お父さんがず〜っとがんばってくれて、トイレとシャワーも地下で使えるようになっていました。洗濯の乾燥機はまだですが、洗濯機は地下で使えるので、いろんな面でとても便利になりました。いちいち、ひろ〜いアメリカの家を動き回らず、地下でいろんな仕事ができることは、私にとっては体力的にもかなり楽!いろんな大変なことがたくさんあったのに、それでも、私達の為にいろんなことを備え、待っていてくれたKevinのお父さん、お母さんに、そしてそのような思いを与え、実現に導いてくださった神様の愛に、感謝の思いいっぱいでアメリカでの生活を始めました。

水曜の夕方ここに着き、今日は土曜日。かなり荷物も片付けて、居心地よくなってきました。今週、来週の初めくらいはゆっくり過ごして、霊肉共によく休み、来週の後半からはいよいよ教会訪問や、その他の予定が始まります。先のこと、忙しいスケジュールのことなどを思いめぐらしていると、だんだん「思い煩い」になり、心配、不安になっていくので、イエス様と共に、今のこと、次にしなければならないことにだけ目をとめて、あとはゆだねることを教えられています。

「恐れるな。わたしがあなたと共にいる」というみことばは、本当に深く豊かな主の愛と力を示してくれます。親になってみてつくづく思ったことは、子供が恐れている姿を見ることほど辛いことがない、ということでした。神様もきっと同じなんでしょうね。だから聖書の中には、「恐れるな。わたしがあなたと共にいて、あなたを守る。あなたを助ける。戦うのはわたしだ。あなたはわたしのそばにいれば、それでよい。」というみことばがた〜くさんあるんだろうな、と思います。こんなにも私を、私達を愛し、大切にし、そして必ず助け、守る力のある神様を、「お父さん」と呼ぶことのできる恵み、いつでも神様のところに行って、ひざの上に、御腕の中に抱きしめられて安心できる場所を与えていただける幸せを感謝し、アメリカでの4ヶ月も、主と共に、楽しみ、喜び、静かな平安の中で過ごしていきたいです。日本の家族、教会、友人達の為にも、ますます心をこめて祈っていきたいです。

Tuesday, April 15, 2008

あれ?

いよいよ明日から一時帰国でアメリカへ!教会の方は、まぁなんとかめどがついてきたし、13日の礼拝も無事に終わったので、昨日、今日は自分達の準備の大詰め。洗濯、掃除、片付け、荷造り…などなど、大忙しです。(でも、「働きづめ」ではなく、ちゃんちゃんと休憩とって、ソファーに寝て休みながらやってます。今もしっかり休憩中で、気分転換をかねてブログアップしてます。)

でも感謝なことに、教会の方々が、昨日も今日も、夕食のおかずを作って持ってきてくださいました。感謝〜!

で、この1週間ほど、家族の会話の中でも、自分の頭の中でも連発しているのが、「あれ?」という言葉。

「この前は、何着ていったんだっけ…。あれ?忘れちゃった。」

「あれ?ここに何取りに来たんだっけ?」

「何かしようと思ってたんだけど…。何か詰めようと思っていたんだけど…。あれ?なんだっけな。覚えてない…。」

「あれ?」の連発に、自分でも、驚きを通り越して笑っちゃうほど。(…って、笑い事じゃないかもしれませんが。)でもそれだけ毎回必死、無我夢中で準備してるんですよね。どんな時にも頼ってすがれるイエス様を知り、イエス様の心配は、私にとって現実の力となることを確信して祈れること、また、たくさんの方々に祈られている幸いをかみしめながら、4ヶ月の一時帰国に出かけたいと思います。皆さん、いつもお祈りありがとうございます。引き続きお祈りくださいね〜♪私達もお祈りしてます。

ちなみに、Jは来週の火曜日からアメリカのクリスチャンスクールで5年生。Kevinは、継続中の神学校での学びに戻り、勉強しながら、あちこち旅行したり、教会訪問のご奉仕です。私は、今回はインディアナ州の運転免許を取らなければならず…。みんな、勉強しなきゃ!

Thursday, April 10, 2008

いちご

私はなぜか、いちごの絵やモチーフが大好きです。Kevinのお母さんは、ゼラニウムの絵やモチーフが大好きで、私はいちごの絵やモチーフが大好きなので、お互いに、何かプレゼントする時は、「ゼラニウム」「いちご」はいいヒントになってくれます。(ちなみにうちの母は、かわいい動物が大好き。注意していないと…と言うか、母の好きそうなものは「あげないよ」と念を押してからでないと見せられません。あっと言う間に母の手の中におさまってしまうので…。まぁ、いいんだけど。)

なぜ「いちご」が大好きなのか、あまり良く考えたことがなかったのですが、この前、その理由を発見しました!

来週水曜日4/16から、8月半ばまで、宣教師の一時帰国でアメリカに戻ります。それでJが自主的に、ちょこちょこと、自分の部屋の片付けや整理整頓をしています。そしてこの前、「ママ、本棚を整理したんだよ、見て。」と言うので、見せてもらいました(…と言っても、そんな大きな本棚じゃないのですが)。

英語の絵本、日本語の絵本、まんが(主にドラえもん)、学校の宿題に読んだ本、などなど、自分でいろいろ考えて仕分けし、整理したようでした。ほぉ〜、すばらしいねぇ…これはKevinの血筋だな!と感心していた私。ふと、絵本のところに目が行くと、大好きな「いちごばたけのちいさなおばあさん」を見つけました。

この絵本は、私が幼稚園の時、毎月幼稚園を通して買ってもらった本の1つで、幼稚園でもらってきた時は、ペーパーカバーでした。早速母と一緒に読んで、私も母も、大好きになった絵本の一つでした。

内容は…
畑の土の中に、ちいさなおばあさんが住んでいました。そのおばあさんは、お日様の光をたっぷり吸い込んで、木の根っこからぽたぽた落ちる水を水瓶にためておいて、それでも足りない時は地下水を運んで、それにさらに地下でほったみどりの石を砕いて、粉にして、それを水瓶の水にまぜていちごを赤く塗る絵の具?を作ります。そして春にいちごの実がなる度に、大きくなったいちごを、一つ一つ赤く染めるお仕事をします。

ある年、おばあさんの予定より早く、いちごがなってしまいました。おばあさんは慌てて、大急ぎで石を運び、絵の具を作って、一生懸命いちごを赤く塗りました。

やっと大仕事が終わって、疲れ果てて、でも、満足して眠りについたおばあさん。翌朝目がさめてみると、なんと地上は雪が積もって、大事ないちごはみ〜んな、雪の中に埋まっていたのです!

雪に埋もれてしまったいちごを前に、さめざめと泣くおばあさん…。でも、すぐにあちらこちらから、森の仲間達がやってきて、雪の中においしそうなまっかないちごを見つけて大喜び!嬉しそうに食べ始めました。

その様子を見ていたおばあさん、土の中の自分の家にもどって行き、「ちっともだいなしじゃなかったよ。やれやれ。でもなんてくたびれたんだろうねぇ。あたしは。」と、まっかないちごをひとつ抱えて、森の仲間達の嬉しそうな声を聞きながら、うとうと眠ってしまいました。
…というお話です。

その絵もお話も、初めて読んだ時から、母と二人大感激!何度も何度も読んでぼろぼろになり、しばらく忘れていましたが、かなり大きくなってから、本屋さんで「ハードカバー」になって売られているのを見つけ、ちょうど母と買い物をしていた時だったので、もちろん買って、また二人でなつかしく読んだのでした。

さらに時が流れ、自分がお母さんになって、「はけたよ、はけたよ」とか、いろんな本をJに読んであげましたが、やっぱり真っ先に買ったのが、この「いちごばたけのちいさなおばあさん」でした。でもJは、私ほど感激したり、思い入れがなく、別の絵本の方が興味いっぱいだったので(男の子だしねぇ…)、あんまり何回もは読みませんでした。

でもこの前、久しぶりにこの絵本を見た時、「あ、この本のおかげで、私、今こんなにいちごの絵やいちごのモチーフが好きなんだ!」と、初めて気が付いたのです。小さい頃、母と一緒に読んだというなつかしさ、思い出、絵のすてきなこと、そして、今読み返してみると、神様の愛のメッセージも感じられて、ますます感激、嬉しくなりました。まだ読んでいない方、ぜひ読んでみてくださいね。

Wednesday, April 2, 2008

奏楽者研修の恵み♪

4/16から、宣教師の一時帰国で、アメリカに戻ることになっています。今回は4ヶ月なので、前回9ヶ月の時に比べれば半分以下ですが、いろいろと、教会を留守にする為の準備は山盛りいっぱい!加えて、自分達の一時引っ越しの準備、Jの学校、Kevinの神学校での学び、アメリカでの教会訪問のスケジュール、などなど、「宣教師一時帰国」の準備は大変です〜。

その大変な準備の中ですが、私にとって、心のオアシス?になっていることがあります。それは、1月から月1回くらいのペースで始めた「奏楽者研修」。参加者(5名の姉妹達)が、結構喜んで、楽しく参加してくださって感謝なのですが、それ以上に、私にとって大きな恵み、喜びとなっています。

TCCで教会音楽を学んで、賛美のご奉仕の為に献身したはずだった?私ですが、実際に今している奉仕の内容は、かなり「教会音楽専攻」で学んだものとは「ハタケ違い」のことばかり。宣教師に召されて以来、今思ってみると、それでかなり自分の中で落ち込み、ふてくされていた部分があったのです…。

だって…、
*ピアノは持ち歩けないから、旅行が続けば全然ピアノに触れない!

*他の用事が多すぎて、ピアノを弾く時間もエネルギーもなくなってしまう!

*アメリカからの引っ越しの準備で最初にしたのが、ピアノを売ることだった…(結婚してから、自分でお金をためて買った中古のピアノで、両親が買ってくれたヤマハのピアノは、今も実家で大事に管理してくれています)

…と、こんな状況で、宣教師になってみたら、音楽を手放さなければならないことばかりで、どんどんなまっていく指を実感し、奏楽はできたものの、ピアノ曲は弾けなくなるばかりだし、イエス様にも、たくさん犠牲を払ってピアノを習わせてくれた両親にも、先生達にも、なんだか申し訳ない思いでいっぱい、それに自分が情けない〜(涙)!と、落ち込むばかりでした。そして、自分の思い通りにならない状況に、わがままな私は、ふてくされていたんだなぁと、今にして思うのです。

…が、おととしの夏、いつものように、土曜日の夜に一人で奏楽の練習をしていた時、イエス様が後ろからふわっと抱きしめてくださったような気がしました。そして、「わたしはかおりのピアノが大好きなんだよ。これからも、わたしの為にピアノを弾いてくれるかい?」と優しく語りかけてくださる声を聞きました。

それを聞いたとたん、涙が滝のように流れました。「イエス様、ご存知の通り、もともとそんなにずば抜けて上手じゃないけど、今の私はもう、高校時代、TCC時代に弾いていたような曲は弾けません。指もかなり動かなくなりました。それでも、こんな私のピアノを好きだと言ってくださるのですか?喜んで聴いてくださると言うのですか?それなら私は、イエス様、あなたの為に、もっともっとピアノを弾きます。どうぞ私のピアノと音楽を、受け取ってください。あなたへの捧げものとして、もう一度おささげします!」と祈りました。そう祈らずにいられなかったのです。

バイオリンのレッスンを始められるようになったのは、その夏に続いた秋のことでした。もう一度、音楽を自分の思いでなく、イエス様への捧げものとしてお捧げした時、イエス様が、長年の夢だったバイオリンを習う道を開いてくださったのです。

と同時に、私の中でくすぶって、消えかかっていた音楽への思いが、イエス様によってさらに豊かに深くされて、よみがえってきました!そして、バイオリンを習うと同時に、自分で音楽を学び続ける思い、行動がどんどん出てきて、自分自身がどんどんリフレッシュし、新しく力を受け続けていることを感じました。そして、音楽の美しさに痛みをおぼえるほど、深く豊かな感動がどんどん大きくなっています。

そして、帰国の準備の一つ、という形ではありましたが、「奏楽者研修」を始めるに至ったのでした。

神様のしてくださることって、ほんとにムダがないと言うか、すべて益としてくださるんだなぁ〜としみじみ思ったことがあります。それは、自分では落ち込み、ふてくされていたと思っていた時に、奏楽の為に弾かざるを得なかったプレイズ・ワーシップソングを弾く為、それまであまり関わってこなかったし、あまり関わりたいとも思わなかった『コード』での弾き方が、ずいぶん自分の中で実になっていたのです。

すべてできあがった形で書かれている「楽譜通りに弾くこと」からいったん離れ、曲の雰囲気、自分の個性で、「コード」として書いてある和音をもとに、伴奏を作っていくこと。その為に、TCC時代に、さっぱりわからなくて大泣きして祈りながら学んだ「和声学」が、突然よみがえってきて、コードで表されている「和音」について、理解を助けてくれました。そして、私なりの奏楽が形作られてきました。

そうして、前にくらべるとかなり「自由に」?楽譜をもとに、でも楽譜通りに…という固定観念から離れることができてみたら、ちゃんと楽譜になっている讃美歌を、ちょっとだけですが、自分なりにアレンジして弾いてみる、ということもできるようになりました。これって、私にしてみたらすごい驚きなのです。

で、私のいろんな経験、奮闘を、奏楽奉仕を志して実際に奉仕してくださっている姉妹達と分かちあい、一緒に学び、レッスンしていく「奏楽者研修」がスタートしました。初めは、TCCで天田先生から教えていただいた、「奏楽」「奏楽者」についての考え方、心構えなどから始まって、讃美歌の奏楽の仕方、練習の仕方、会衆との呼吸の合わせ方、実際の伴奏のヒント、音階について、コードについて、和音の種類、構成などなど…、毎回少しずつ、実践を加えながら練習、レッスンを続けています。

今日は、Nちゃんの希望で、Mさんも一緒にうちに来て、二人がそれぞれに家で練習してきたワーシップソングの賛美を、レッスン(?)&一緒に練習しました。二人共、讃美歌はその通りに弾けるし、かなり音楽的な感性も豊かで、時々、「あ、これいいね!」と、私にも大いに刺激となる音を聴かせてくれます。ほんとに、お互いに良い学びができ、とても楽しい時間となりました。だから、最近超忙しい私にとっての『心のオアシス』なわけです。

私はもともと飾らないというか、飾れない性格なので、音楽的な「飾り方」もわからなくて、私の音楽はいつも、「飾らない」実にあっさりしたものになってしまいます。だから、「音楽をもって自分を表現する」なんて言うのは大の苦手!でも、あっさりしてるから、合わせやすい、と、歌や、他の楽器の伴奏には、好んで使ってもらったものでした。そして、奏楽も、自分で伴奏を作るワーシップソングの伴奏も、本当に小規模にあっさり、しみじみ〜っていう感じのものばかり。それなのに、「そんなかおりさんの奏楽が好き♪」と言って、一生懸命に私の弾き方をまねて、練習してくれるNちゃんや、「イエス様から力をいただいて!」と、奏楽にチャレンジしているMさんの信仰から、ほんとにたくさん恵みをいただきました。

これからも、宣教師として生きる限り、じっくり音楽と向き合う人生にはならないでしょうけれど、できるところで自分なりにレッスンを続け、音楽に感動し、その感動をイエス様に向けて賛美する者になりたいです。そんな私のピアノを、イエス様が「大好きだよ♪」と言ってくださるのですから。ピアノもバイオリンも歌も、楽しみながら、イエス様に向かって弾き、歌っていきましょう♪