Wednesday, September 30, 2009

もう明日から10月…。すっかり秋になりましたね。

結婚する前は実家で母とよく食べていた「柿」。結婚後アメリカに行ってからは、あまりスーパーで見かけなかったし(最近は結構見かけるようになりました。Kevinのお母さんは柿が大好き。)、日本に戻って来てからも、梨ほど積極的に買って食べませんでした。しかもJも、あまり柿が好きではなかったし…。

でもこの2年くらい、なぜか「柿好き」に変身したJ。むいてあげると嬉しそうにほおばっています。

寝る前に、ちょっとした果物やゼリーなどを食べるのが好きなJ。昨日もシャワーの後、「なんかおやつないの〜?」と言うので、「あ、ごめん。今日は特にないんだな…。生協で届いた柿はまだ固いし、食べごろにはもう少し待たないとだめみたい。」と言った私に、もそっと一言。

J:「柿か…。Jの好きな柿の季節になったな。。。」

私:「…。」

無言でJをながめた後、妙にその言い方や、しぐさや、雰囲気や、「柿大好き」への変身ぶりがおもしろくて、心の中で大爆笑していました。

それで昨日は柿をあきらめ、教会のお昼の残りでもらってきた「みかん」を食べて寝ました。

Saturday, September 26, 2009

<塩の霊性>

塩は言葉もなく、音もありません。塩は臭いがなく、華やかでもありません。しかし、塩はなくてはならない必需品であり、いのちと同じです。塩は水のように自分を隠し、すべてのものを生き返らせます。光は自分を現すことによって暗やみを照らしますが、塩は自分を隠すことで暗やみを呑み込んでしまいます。塩の美しさは、出しゃばりすぎない素朴さにあります。塩は足りなくもなく、多すぎもしない適切なバランスにおいて、最高の味を出します。塩の霊性はバランスにあります。左にも右にも反れないことがバランスです。かたよりのないものが正道です。正道を歩むものが塩です。

塩は他のものを変化させ、この世を変化させます。海はすべてのものを抱き、すべてのものを生き返らせます。抱いたものに同化せずに、変化させます。変化させる海水の力は、その中にある塩にあります。また、塩は神聖です。神にささげる穀物のささげものには塩を入れました。塩は約束のみことばを象徴します。いのちを与える最も大切なものの中に塩が含まれています。涙に塩が含まれていて、汗にも塩が含まれていて、血にも塩が含まれています。ですから、塩はいのちです。

塩は自分のために存在しません。塩は他のもののために味を出します。塩は自分を溶かして味を出します。イエスのみことばに従い、腐っていくこの世を腐らないように助ける塩、憂鬱なこの世に静かに味を出す塩のような存在になりましょう。


「絶望を希望に変えるいのちの水の恵み」/カン・ジュンミン

Saturday, September 19, 2009

<真実が大切な理由>

真実が大切な理由は、私たちが人間として生まれて、関係の中で生きていくからです。真実の役割は、関係のすべての面において、信頼を築いていくことです。ところが、私たちがもし自分に嘘をつくなら、決して私たちの強さを改善して育てていけないだけでなく、弱さも補えなくなるのです。すなわち、自己開発をとめてしまうことになります。結果的には、私たち自身を信頼することに必要な人格さえも築いていけなくなるのです。

他人に嘘をつけば、基本的に彼らとの関係形成をとめてしまいます。個人的な理解と共同の善を犠牲にすることになります。結果的には、関係という繊細な糸でつながっている人間社会が弱まるのです。そして、神に嘘をつくなら、自己欺瞞がピークに達します。神に嘘をつくとき、果たして私たちは誰を嘲ることになるのでしょうか。結果的に、この世の中心に私たち自身をおいて、徐々に関係の重要性を無視することになり、「神を愚弄する」傾向に陥ってしまうのです。

私たちはすべて、現実の世界を作っているものごとと衝突し、合わさって生きていくのです。私たちは、真実がそれぞれの役割をこなしていけるように、可能な限りの機会をすべて活用すべきです。私たちはいつでも真実を語る人にならなくてはなりません。そうでなければ、私たちは、「健全な関係」という健康な生活の「食卓」を受け入れるには足りない者となってしまいます。


「ピノキオたちがのさばる世の中」/
ダブリン・ドナルドソン&スティーブ・ウェムバーグ

Saturday, September 12, 2009

<恵みとの結婚>

あなたと私は、律法の下に生まれました。アダムが善悪を知る実を食べた時、律法と結婚し、彼の子孫であるあなたや私も、律法と結婚した状態でこの世を生きるようになりました。では、律法との結婚生活とはどのようなものでしょうか。彼は私たちに多くのものを要求し、私がする全てのことをいつも批判します。また、すべきことと、してはいけないことに対して指摘します。彼は常に命令するので、彼としばらく暮らしていると、これ以上彼の言う通りにしたくなくなります。

しかし、私たちは不幸にも死の直前まで律法との婚姻関係から抜け出ることはできません。律法は決して死ぬことがありません。ですから、私たちには希望がないように見えます。

しかし、神は私たちをイエスと共に十字架に架かるようにされ、それによって、アダムの中で律法と結婚した古い人は死んだのです。私たちは死を通して新しく生まれ、完全に別な人となり、イエスと結婚したのです。

恵みとの結婚は、律法との結婚とは次元が異なります。恵みは私たちを見て喜び、私たちに愛を注ぎます。私たちが何かをしなければならない時にも、恵みは変わらず共にいてくれます。しかし、この真理を知らなければ、私たちは再び律法に近づき、すべきことを教えてくれと言って、彼との関係を懐かしむようになるのです。私たちは恵みと結婚しました。このことを悟ることが何よりも重要です。クリスチャンの生き方は、規則ではなく、イエスとの関係によって成される恵みなのです。

「恵みの霊性」/スティーブ・マクベイ

Thursday, September 10, 2009

<聖さがこめられた礼拝>

ケンタッキーで高校に通っていた頃、私は交響楽団でオーボエを吹いていました。指揮者が演奏曲を発表すると、私たちは各自、楽譜を家に持ち帰って練習しました。次の合奏の出来は、家でどれだけ練習したかにかかっていました。

礼拝も同じです。公園のステージで「クリスチャンであるないに関わらず、100名の人々を集め礼拝しよう。」と言うなら、それは話にならない馬鹿げたことではないでしょうか。神は、私たちが礼拝に集うとき、会衆一人一人のうちにある聖霊の臨在を探されます。

偉大な指揮者アルトゥーロ・トスカニーニは、耳が非常に良く、4列目の5番目のバイオリン奏者がわずかに音を外したのも聞き分けたと言います。神も、このように私たちを細かく知っておられます。私たちは主をだましたり、ごまかしたりすることはできません。

私たちは、1週間のうち6日をでたらめに生きて、聖日だけ敬虔にふるまうようなことは、やめなければなりません。どんなに教会がリバイバルしても、教会員がそれぞれ、個人の生活において指揮者の楽譜に従わなければ意味がありません。オーケストラが出す音は、各楽器の音を合わせたもの以上にはなりません。私たちの礼拝も、それぞれが自分の楽譜に正確に従って、神に栄光を帰す合奏をしなければなりません。

「礼拝に隠された秘密」/R. T. キャンダル

・・・・・・・

<一節の黙想>第1歴代誌 15:15

にない棒など重要でないと片付けてしまうこともできますが、私たちの人生の中で、私たちを倒すのは、そのような小さなものです。私たちは、にない棒を得る為に準備したり、にない棒を肩に担ごうとする苦労をしようとしません。車を利用する方がはるかに簡単だからです。しかしダビデは、神が重要であると思われることを重要視しました。神が重要視されることを重要視してください。

チャールズ・スウィンドル/アメリカの神学校総長

<根気よく祈りなさい>

怠け者のクリスチャンは祈りません。では、怠け者のクリスチャンというのはいるのでしょうか。祈らないクリスチャンというのはいるのでしょうか?クリスチャンの冠と神の御国が小さくなることがありえるでしょうか。臆病な軍人というのはいるのでしょうか。聖徒に見える偽善者というのはいるのでしょうか。慈悲深い悪があるのでしょうか。このような不可能が可能になった時、祈らないクリスチャンも存在しえるのです。

祈るふりをすることは難しくありません。静かに品良く祈ることも難しくありません。しかし、地獄に莫大なダメージを与えるまで、ぶ厚い鉄の扉が開かれるまで、山のような障害物が取り除かれるまで、霧や雲が晴れて太陽の光が照らすまで、心を注いで祈ることは実に難しいことです。しかし、これは確かに神の働きであり、人間ができる最高の労働です。祈る手や頭、心の労は決して無駄になることはありえません。

何の声も聞こえないのに、根気よく祈って待つことは、決してやさしいことではありません。しかし、神が答えてくださるまで待たなければなりません。祈りが答えられた時の喜びは、子を産む痛みに耐えた母の喜びであり、鎖をはずされて新しい人生と自由を得た奴隷の喜びなのです。

「祈りは強い」/E. M. バウンズ

Monday, September 7, 2009

楽器店へ

ひさ〜しぶりに、ちょこっと電車に乗って楽器店に行ってきました。この秋から教会のHちゃんにピアノを教えることになり、いいピアノ教材を探して、調べて、いろいろ勉強してきましたが、今日はいよいよ教材を買いに、楽器店に行ってきたわけです。

出かける前に、「神様、どうぞ私とHちゃんが一番使いやすい教材を選ぶことができますように、助け導いてください。」と祈って出かけました。

うちの近くにあった小さな楽器店が、去年アメリカから戻ってきたら居酒屋に変身してしまっていて、それ以来すごく不便でした。今日行った楽器店は、J駅の南口の目の前にあり、総合楽器店としていろいろなものが売っているのでとっても便利。その上電車の往復も楽だし、わざわざ銀座とか遠くにまで出かけて行く必要もなく、この楽器店の存在をおしえてもらった時は、「神様、ありがとう!」と感謝感激でした。

さて、いよいよ楽譜売り場に行って、リストにあげていた教材を見つけたり、自分のリストにはなかったものでも、実際に内容を見て検討したり…、小1時間ほど考え、検討してきました。その時思い出したのは、私の2人のピアノの先生達から言われたこと。「自分で教えやすい教材を、自分で探して使いこなすこと」でした。

リストにあげた教材はいろいろありましたが、実際に教材を見てみると、どれも一長一短で(もちろんですが)「さて、これを使って教えるって、実際どうなんだろう…。」とかなり考えさせられ、実際のレッスンを思い描いてシミュレーションしたり、頭がフル稼働していました。

そうしていろいろ考えたり祈ったりしている中で、だんだんに、自分がまず教えたいこと、何から始め、何を教えようとしているのか…ということが自分の中ではっきりしてきて、それに合った教材を探すようになっていきました。普段いろいろ考えてばかりの私ですが、エッセイ調に考えるのは好きでも、分析/解析は苦手です。だから、このプロセスは、神様が私の中で働き、教え、導いてくださっているんだということがよくわかり、とても嬉しくなりました。神様と一緒ということが、本当に感謝でした。

自分の考えていることや教えたいことはわかってきたものの、じゃあ、どの教材にする?ということが次のステップ。アメリカでも教会のお友達の娘さん(当時1年生)にピアノを教えたことがあり、その時に使っていた教材がとても使いやすくて気に入っていたのですが、それは日本では売っていないと思ってました。ところが!ふと手に取った楽譜が、アメリカで使っていたものを訳した教材でした。なんと2008年に翻訳出版されていたのです。思いがけない出会い?にびっくり&感激で、もちろん、その教材を使うことに即決定。もう1つ併用する楽譜、五線紙、レッスンノートを買って家に戻りました。

レッスンを始める前から、こんなに神様がよく導いてくださっている、Hちゃんのピアノレッスン。神様がどんなふうに祝福してくださるのか、とても楽しみです。そして、みこころだったら、ピアノのレッスンを通してHちゃんとの交わりが深められ、Hちゃんの信仰の成長にも用いられていきますように…と祈らされています。私も、ピアノのレッスン=先生達との信仰の交わりの部分が多かったし、その中でピアノと共にたくさんのことを教えられ、育てていただきました。これからどんなふうになっていくかわかりませんが、私が受けた恵みを分かち合う時間にもなればいいな〜と思っています。電車で出かけて疲れましたが、神様と一緒に楽しく楽器店に行き、期待以上の収穫を得られて感謝でした。

Wednesday, September 2, 2009

<成功の秘訣>

「六日薬局に行きましょう」の著者キム・ソンオ氏は、馬山(マサン)郊外で、4.5坪の小さい薬局を運営していましたが、今では韓国の財界が注目する、インターネット教育業界のCEO(最高経営責任者)です。彼が語る成功の秘訣は、すべてにおいて聖書に原則を置くこと、そして顧客を感動させる「感動経営」です。

どの分野であっても、成功する為には人の心をつかまなければなりません。しかし、誰かの心をつかみ、感動させるということは決して簡単ではありません。まず自分自身の心が神の感動によって満たされてこそ、他の人の心をつかむことができるのです。

キム・ソンオ氏は、薬局を訪れる顧客の名前を一人一人覚え、また周辺住民たちに仕える「感動経営」によって、開業12年で200倍を売り上げた企業へと成長させました。彼はその秘訣を聖書から探し出したと言います。資本もなく、天才的な能力もありませんでしたが、聖書の原則を守り、成功したのです。

彼は貧しい牧師の息子として、無一文で薬局を始めましたが、厳しい信仰教育を受けていたので、人をだましたり、見栄をはったりしない生き方をしていました。両親の信仰教育と聖書が事業の資産になったのです。彼は聖書どおりに生き、事業をし、人間関係を築くならば、必ず成功すると語っています。

このように、私たちの悪い環境も、神の感動によって包まれる時、すべての人の記憶に残る信仰の場所へと変えられ、そこは光り輝く場所として人々に覚えられることになります。

「家庭よ生き返れ」/キム・ヤンジェ