Tuesday, March 31, 2009

<Garaを持った人々>

ポルトガル語で、諦めずに最後までしがみつくことのできる力を持った人を指して、「ガラ(gara)」を持っていると言います。「ガラ」は「蟹のはさみ」を意味します。「ガラ」を持った人は、断崖からでも落ちない蟹のはさみを持っているのです。救いを得ることも同じことです。私たちは断崖の近くに行く時があります。さらにそこでつまずくこともあり、滑ることもあります。しかし、救いを得た人は、神の岩に爪を立ててぶら下がっているのです。

こんな話を聞いたことがあります。映画「ベンハー」を撮影している間、チャールトン・ヘストンは馬車の乗り方を教わるのにとても苦労したと話したそうです。彼はたくさんの練習を重ねて、ようやく馬車に乗れるようになりました。しかし、うまく乗りこなせるかどうか、まだ不安でした。聞いた話によると、彼はセシル・デミル監督にこう話しました。「馬車には乗れますが、競争に勝てるかどうかはわかりません。」その時、デミル監督はこう答えました。「ただレースに残っているだけでいい。そうすれば、あなたが勝てるようにしてあげるよ。」

イエス様もあなたに同じような確信を持つよう語られます。「ただ、レースに残っていなさい。」そうすれば神の国に入れるよう、主がすべてを導いてくださいます。「ガラ」を持った人々だけが救いを得るのです。

私に残された時間が一週間しかなかったら/マックス・ルケード

年度末

いよいよ3月も終わり。月の終わりというだけでなく、3月の場合は「年度末」でもあるので、ちょっと「大晦日」に似た思いがします。明日から4月ですねぇ…。そして「新年度」の始まり。早いなぁ。。。

2月は、すごい仕事量(内容も量も)に追われ、ほとんどの時間をコンピューターに向かって過ごしていました。そのせいか、「逃避」も兼ねて結構ブログの記事も更新できましたが、3月は出かけたり、人と会ったり…という時間が結構あったので、そちらに体力を使ったあとは、エネルギー不足であまり更新もできずに過ぎてしまいました。この3月にも、いろんなことがありましたが、それはまた落ち着いた頃に書けるといいなぁと思っています。

3月は、20日の祝日に弟家族がうちに遊びに来てくれました。KevinはANRCという、帰国者の為のミニストリーの大会に出かけてめずらしく2泊で留守。Jと二人きりだと、結局家の中にいるか、または良くても隣り駅のサーティーワンアイスクリームを食べに行く程度だろうと思ったので(いつものことながら、本当に出不精の私)、弟の所に遊びに行くか、来てもらうかしようと思っていました。で、よく考えてみると、義妹のTちゃんが産休も終わり、仕事に復帰するので、そうなるとなかなかうちに来てもらうのも大変になるだろうなぁと思って、結局「うちに遊びにおいでよ」ということになりました。

弟達に会うのは、1月のO教会献堂式以来です。あの時も楽しかったけど、今回はもっと時間もたっぷりあったので、もっと楽しかったな…。Jは一番お兄さんなので、年下の従弟達の面倒をみて楽しませてあげようと、近くの公園に連れて行く事や、自分のおもちゃで遊ばせてあげることなどをいろいろと考えていたようでした。こうしてみると、Jもお兄ちゃんになったね〜としみじみ感じます。そして実際に、甥達は大好きなJに連れられて、公園でも、Jの部屋でも大はしゃぎして楽しんでいたようでした。ちょっとケンカもしていたようだったけれどね…。こども達の様子を見ていると、自分が子供の頃に、弟、いとこ達、教会の友達と大騒ぎして遊んだ頃がと〜ってもなつかしいです。

弟は、花粉症真っ盛りに日頃の疲れもあり眠そうだったので、「ソファーで寝れば」と言ったら、本当にぐ〜っすりと眠っていました。ゆっくり休めたようで良かった、良かった。そして私は義妹のTちゃん、姪のCちゃんとた〜っぷり話して、だっこして遊んで、とても楽しかったです。ついでに、2番目の甥のYと一緒に、アメリカのチョコレートケーキミックスでチョコレートケーキを焼きました。まだ4歳でチョロチョロ君のYですが、私が言うとおりに、真剣に手伝ってくれて、とってもおいしいケーキが焼けました。夕ご飯の後にそのケーキを切って、それぞれに生クリームやイチゴで飾って食べるようにしたら、みんな大喜び!本当にアメリカのケーキミックスはおいしいし、役に立つなぁ。

Tちゃんが、帰りの電車の中からメールをくれて、「久々にとってもゆっくりできて楽しかった」と書いてくれました。とっても嬉しい一日でした。

Jは20日から春休み。でも、英語オンリーのカリキュラムは、「毎日18ページ以上進めること」という宿題、それと日本語でやっている6年生の授業の宿題もばっちりあって、毎日ため息つきながらもがんばっています。英語オンリーの方は、Jの英語力診断テストの結果を受け、実学年よりも下のクラスのものをやってますが、先生が「かなりがんばっていて、私の立てた予定よりも進み方が早いです」とおっしゃってました。日本語も英語も勉強するのは大変だけど、がんばれ、J!と、祈りつつハッパかけてます。

25日の夜は、この春大学を卒業し新社会人になる、教会の女の子達3人を家に呼んで「卒業祝い、焼きそばパーティー」をしました。3人共本当に私の霊の娘のようで、とっても仲良しなので、久々にゆっくり交わることができて楽しい時間でした。社会人になるにあたり、3人それぞれに箴言のみことばをプレゼントし、霊的老婆心から、ちょこっとアドバイスも。3人共真剣にみことばを受け取り、話を聞き「いろいろ考えさせられていたので、タイムリーにかおりさんのお話聞けて良かった」と言ってくれて、その素直で純粋な信仰にも、私は感謝感激でした。新しい歩みが祝されたものになりますよう祈らされます。「かおりさんの家に来ると、『ナルニア』見たくなるよね〜。」と言うので、「カスピアン王子の角笛」のDVDを一緒に見ました。うちの家族3人で見ている時とは違った、女の子らしい声やコメントがおかしいやら、かわいいやら、私もJも結構好き勝手なコメントを分かち合いつつ(?)、楽しい時間でした。

新年度の歩みも、それぞれに祝され、神様の恵みと宝をたくさんいただける一年となりますように…。

Tuesday, March 17, 2009

それぞれの一日

先週金曜夜〜土曜午前にかけての、Jの学校でのお泊まり会も無事に守られ、土曜のお昼すぎ、笑顔で家に戻ってきました。学期末恒例の「スクールショップ」で楽しくお買い物して、「これはママに」と写真立てとメモパッドを買ってきてくれました。ママも、金曜夜は父兄会で家に11時過ぎに帰る…という、滅多にないことをしたので、土曜、日曜とどうなることかと心配でしたが、皆さんのお祈りに支えられ、夜はこれ以上ないほど熟睡できたらしく、思ったより早くエネルギー充電でき、日曜の礼拝でのご奉仕や交わりも守られました。ありがとうございました。

jの学校の普通授業は先週の金曜で一応終わりでしたが、今週は「補講」で、主に日本語でやっている小学6年生の勉強を進めているようです。「補講」期間なので、学校は朝10時始まりで、下校時間もいつもよりはやや早め。「今週は10時始まり」という肝腎なことを聞き漏らしたJ、昨日は普通通りに登校したら、まだ誰も来てなくて、しばらくそのへんをぶらぶらして自分なりに時間をつぶして、みんなを待っていたら、そのうちに先生が来られ、だんだんにみんなも来て…だったそうです。今朝はちゃんと時間に合わせて出かけていったのに、10時10分頃に先生から電話。「J君、まだ来てないんですけど、大丈夫ですか?」なんと、今朝は人身事故で、登校途中に電車が17分くらい停止してしまったそうです。その後、無事に学校に到着したと電話があり、ほっとしました。ほんとに、こういう時は親は無力の極み。でも、毎朝必ず祈って出かけ(送り出し)ているので、Jのことはもちろん、私のことも、イエス様が守っていてくださるなぁと実感しました。「イエス様、いつもありがとうございます。これからもますます、Jのこと守ってください、私は守る力も知恵もありませんから…。」と、改めて祈らされました。

さて、Jは学校でしたが、昨日の月曜は、Kevinと私は、宣教団のミーティングがあってそれに参加しました。ほんとは9時半からだったのですが、私はJのお弁当を作り、送り出し、自分もご飯を食べ、ちょっと一息ついてからじゃないと、うちからその場所まで電車を乗り継ぎ、片道1時間20分くらいかかるしで大変なので、Kevinに先に出てもらって、後から遅れて行きました。

久しぶりに同労の宣教師の方々と会い、良い話し合いもできました。宣教師の集まりの時は、話し合いの内容は大体わかるけど、日本語での話し合いのように100%わかるわけじゃないし、とってもおとなし〜い私。でも、Kevinの心遣いなどもあって、最後、みんなそれぞれに、声を発する(?)ことができる時間が与えられ、私もなんとか、英語で自分が思っていることや感じていることなどを言いました。

でもいつも思うんだけれど、私がたまに発言すると、宣教団の他の先生達がみ〜んな、とっても優しい顔して、真剣に聴いて、その後に続く方は、私が言ったこと(話せたこと)を、私の言葉以上によく汲み取って(思っていることはあっても、表現力が伴わないので、ほんとにたいしたこと言えてないのですが)、それをフォローするようなことを言ってくださるので、とても嬉しくあたたかい気持ちになります。我が夫Kevinさまも、「かおりも言ってたけど…」と私の言ったことをさらにちゃんと説明し補ってくれました。

きっとこれって、先生達がそれぞれ、日本の社会で、教会の中で、自分達がいろんな思いや経験をしているがゆえに、逆の立場で、宣教団の中では私がそういうマイナーな立場、すべてを理解できずに、一生懸命なことをよくわかって受け入れ、支えてくださるんだろうなぁと思うのです。Kevinを見ていても、他の先生達を見ていても、本当に宣教師の働きっていうのは底知れず大変なものだなぁと思います。私は宣教団の中で別に何の責任もないけれど、先生達は「宣教師」として日本に来ているゆえに、「リーダー」として責任ある立場に立ち、その重責を担ってもいるんだし、その大変さは、私には計り知れないほど大きいんですよね。自分も同じ「宣教師」として日本にいるわけですが、日本人であり、この教会のグループの中で生まれ育った者として、宣教団の先生達やその働きの為に、何か支えとなれるような存在になれるといいな…、何より、もっともっと、先生達の為に祈らなくちゃいけないな…と思いました。

ミーティングは午前中で終わりだったので、KevinとP先生(ご主人)と一緒に近くのラーメン屋さんでお昼を食べました。MKのP先生は、私が小さい頃からの知り合いで、P先生のご両親は、私の母教会の働きにも関わり、英語を教えてくださったご夫妻。小さい頃からよく家にも寄って、両親とお茶を飲んで良い交わりをし、私達をかわいがってくださった先生です。今自分が大人になって、息子さんご夫妻(と言っても私よりずっと年上ですが)と一緒に、同じ宣教団で働くことができるなんて、本当に神様の恵みだなぁと感謝、感謝。お昼の交わりも楽しかったです♪

その後Kevinは、神学校のクラスのテストを受ける為、K先生に監督してもらって、そのままそこに残っていたので、私ひとりで帰りました。帰りは行きと違うルートで、都心まわりで帰ってきました。かなり長く電車に乗っていたけど、乗り換えが一度だけ、しかも同じ駅の構内だったので、電車の中ではずっと座っていられたし、結局時間は同じくらいで、値段もかえって安いような…?遠回りと言ったら遠回りだけど、乗り換えの度にたくさん歩き回るのも大変なので、こっちの方が楽でした。混む時間帯でなかったのもあったでしょうけれど。外には出ませんでしたが、電車の窓から久しぶりに車ルートとは違う都心の景色を眺めて、その間たっぷり音楽も聴いて、連日お出かけやミーティングが続いたけど、それができるエネルギーを与えてくださり、守ってくださった神様に感謝しました。

夕食でみんなそろって、「いやぁ〜、今日はそれぞれにいろんな所に行って、いろんなことをした一日だったけど、守られて良い一日になって良かったね〜♪」と神様に感謝、感謝でした。

Saturday, March 14, 2009

忙しい一日

昨日は、私にしては無茶苦茶忙しい一日でした。あ〜、疲れた。でも、神様の恵みと憐れみ、そして覚えて祈ってくれた祈りの友の祈りに支えられた一日でした。

まず朝。年1回の「腹部エコー」の検査の日でした。朝ご飯も、飲み物も摂ってはいけないので、ついうっかりお弁当を作っている間につまみ食いしたり、お水やコーヒーを飲んでしまいそうで、変に緊張〜(>_<) でも、「うっかりミス」から守られて、何も食べず、何も飲まずにちゃんと病院に行けました。エコーの検査は痛くもなんともないので、大変楽な検査ですが、あばら骨やわきに、あまり何度も検査の道具を当てられると、骨がぐりぐりして気持ち悪いわ、くすぐったいわで、それに耐えるのが前回は結構大変でした。でも今回の技師さんはあまりそういうこともなく、あっさりと終わって良かった♪。

ついでに注射もして帰ろうと思って、午前中の一番混む時間だから、時間かかるだろうなぁとは思ってましたが、まぁ、ひたすら待って、待って、待って…の1時間半。エコー、注射、会計で、たっぷり2時間かかって、ようやく家に戻り、11時半頃に朝ご飯でした。(検査が終わった段階で、持ち込みの紅茶と菓子パンを飲み食いしましたが)

午後はひたすら、日曜のKevinのメッセージの翻訳。今回はエゼキエル書の37章から。神様によって、ひからびた骨でいっぱいの谷間に連れていかれたエゼキエルに、神様が「人の子よ。これらの骨は生き返ることができようか。」と問われ、ひからびた骨に預言することを命令されます。さすが預言者エゼキエル。直ちに主の命令に従って、骨に向かって預言すると、その骨がつながり、筋がつき、筋肉がつき、皮膚でおおわれますが、まだ息はありませんでした。そこに主の息が注がれて生きたものとなる、いのちが与えられるという箇所からで、神様のみことばと、聖霊様の息によってのみ、私達は個人的にも、また教会としても生きるものとなるという内容のメッセージ。

お互いに、お互いの言葉の足りなさを配慮しつつ、原稿を書いたり、翻訳したりするようにしています。でも今回は、Kevinがさらに自分の英語の表現を単純化して、少しでも私が理解しやすい、訳しやすい言葉や表現に徹してくれたようで、夕方までに終えることができました。Kevin、ありがとね〜(^^) どうしても、自分のことばでこう表現したい、英語のもつすばらしさ、日本語のもつすばらしさを生かした表現をしたい!という思いやプライドがありますが、私達が二人三脚でメッセージのご奉仕をしてくる中で、そういうのを全部捨てて、より単純に、とにかく「ポイントや、神様から教えられたことがそのまま伝わればよい」というように、意識を変えることを教えられてきました。なんかその実がようやく見えてきたような感じがして、とても嬉しかったし、メッセージからもいろいろ教えられました。訳の善し悪しはともかく、神様にご栄光を帰し、ご栄光をあおぐことのできる奉仕ができますように…。

そして夕方。急いでJと二人で早めの夕飯を食べて、Jの学校へ。学校は来週いっぱいあって、20日から春休みになりますが、恒例の学期末父兄会がありました。そしてこども達は、昨夜は学校でお泊まり会。朝学校に行って、他のお子さん達はそのまま学校にいたのに、Jったら、なんとしても一度家に戻りたくて、いっぺん帰ってきたのです。Jらしい…。(-_-;)

寝袋、薄いブランケット、着替え、洗面道具、そして枕まで持っていきたいと、自分で準備させたら、旅行用の中型スーツケースに入れて「こうして持っていく」と。「こんな大きなスーツケース、ちゃんと持っていける?ママは非力で助けにならないよ。ダダもいないのに。」と言ったら、「大丈夫。Jがちゃんと持っていくから。」そしてちゃんと自分で持って、電車を乗り継ぎ、私と一緒に学校へ…。大きなスーツケースを引いて現れたJに、高校生のI君が、「あれ〜、J。これからアメリカに行くんだっけ?」とからかって、みんな大笑い。なんか、みんな兄弟のようにしている様子に、心が和むのを感じました。

父兄会では、3学期の学校の様子のスライドを見せてもらって、その後、先生方からのいろんな連絡事項、相談事項もあり、話し合いがありました。新学期から新しく入るお子さんのご両親も来られ、いろいろ積極的な意見とかかわりをしてくださって、とても良い父兄会でした。その後、英語と算数の先生と個人的にいろいろお話して、今後の授業の方針などもお聞きし、本当によく考え祈って教えてくださっている先生方に感謝でした。

そういうのが全部終わったのがもう10時20分!前の父兄会はKevinが行ってくれたのですが、今回は人と会う約束が午後にあって、時間が間に合わなかったので、私ががんばって出席しました。Jの祈り、教会の姉妹や学校の先生と子供達の祈り「Jのお母さんが元気に父兄会に来れますように」という祈りに支えられました。皆さん、ありがとうございました。

話し合いの後、満員電車に乗って帰るエネルギーあるかしら…と、心配だったのですが、以外にもそんなに電車が混んでなくて、座ることはできなかったけれど、一人音楽を聴きながら、電車の窓の夜景?を見て、なんだかいい時間でした。夜暗いところを一人で歩くのが、いまだに怖い私、駅までKevinに迎えに来てもらって、家に戻りました。もう11時になってました。

疲れたし、忙しいし、行動範囲の大きな一日となりましたが、守られて、良い時間も与えられ、祈られる恵みと神様の守りを感謝しました。今日の準備や、明日の礼拝の為にも、神様の力が注がれて、ちゃんと務めを果たせますようにお祈りください。

今朝、用事があって学校の先生から電話があり、Jは楽しくお泊まりして、これから学年末恒例の「ショップ」があるそうです。むかしZ教会でアワナクラブをやっていた時、「チケット」を作って、毎学期末、「アワナショップ」というのをしていましたが(Rちゃん、Sちゃん、なつかしいね〜♡)、それの学校バージョンらしいです。「おうちの方からの献品大歓迎」ということだったので、いろいろ100円ショップで買ったり、家にあるものを献品しました。楽しいショップをして、子供達がどんな買い物を家に持ち帰るのかな〜と、なんとなくわくわく楽しい気分です。その場にいられなくて残念だけど…。

Tuesday, March 10, 2009

<神の大切な宝物>

息子ジョエルが12歳の時、私達はグランド・キャニオンにハイキングに行きました。この峡谷は私が一番好きな場所であり、見る度に驚きに目をみはり、夢中になります。何度見ても飽きないところです。ハイキングの最後の日の夜に、私達は薫製のソーセージ、チーズ、クラッカーを食べながら、峡谷の最も眺めの良い場所に座って、沈みゆく太陽を見ていました。峡谷にかかった夕陽が見せる雄大な色彩の変化は、まるで目で見るフーガ音楽のようでした。

その時ジョエルが峡谷を指差しながら、体をこちらに向けて友人と私に言いました。「世界でこれほどまでに神の栄光を現しているところはないでしょう!」まさに私の胸に込み上げていた感情とびったりの表現をしてくれました。私は言いました。「あるのだよ、ジョエル。これよりももっと神の栄光をよく現すものが。」ジョエルは反論したそうにしながら目を見開きました。「どこなの、お父さん。」私は息子を指差して「ここだよ。おまえだよ。」と言いました。「この峡谷全部でも、おまえとは比べ物にならないんだ。どんな峡谷、川、山、海でも、おまえや他の人間より神の威厳をもっと現しているものはないのだよ。」

友よ。あなたはあの壮大なグランド・キャニオンよりももっと壮大なのです。あなたは神の御手で造られ、イエス・キリストを除いて、神の最も大きな喜びと恵みの存在なのです。このように自分自身を見ることが、あなたを造られた神に対して謙虚になる方法です。鏡を見ながら大声で言ってみましょう。「私を大切なものとして素晴らしく造ってくださった神を賛美します。私は神のすてきな作品です。主よ!」

私は日々喜んで/ベン・ピーターソン

Thursday, March 5, 2009

調弦

昨日のレッスンの時、初めて自分で「調弦」をしました。

家で練習する時はいつも、チューナーがあるのでそれを使って調弦しています。そしてレッスンの時は、先生が調弦してくださって、それからレッスンが始まります(今までは)。

でも昨日は、「じゃ、バイオリンの調弦から始めましょうか。」と一言。「へ?今日は自分で調弦するの?!」一瞬ポケッとしてしまいました…(-_-;) そして怖々A線を弾いて調弦開始。

「自分で」と言っても、そんな簡単に調弦できるわけはなく、もちろん先生が「もっと高く」とか「ちょっと低めですね」とか声をかけてくださって、それに合わせてバイオリンを弾きながら、左手でベグを回して音の調整をするんですが、それがまた難しいんですよね。それに、2つの弦を一緒に弾いて和音にするのも、なかなかうまく和音にならなかったり、きれいな音が出なければ調弦できません。同じ五度の和音も、ピアノの五度と弦の五度は違います。合った時には「お!」と思うけれど、その瞬間を逃してしまうと大混乱〜!うまくペグやE線のアジャスターが回ってくれなかったり、レッスン前から大汗かいてしまいました。

それに、レッスンの部屋においてあるピアノはA=442で調律してあって、うちではA=440で合わせていたので、自分が慣れている音よりも高いため、なおさら「あれ???」という感じでしたが、やっぱり自分でやってみると勉強になるなぁと痛感しました。前から、レッスンに行くと「?」と思っていたんだけれど(ピアノが440で調律されていると信じ込んでいたので)、その原因もわかってすっきりしました。(…って、このへんがいい加減で、ちゃんと音を追求しない私よね。。。と苦笑いですが。)

昔から、耳のいい弟や親友に対し、あまり耳の鋭くない私はいつもひけめを感じていました。その劣等感?がまたムクムクッと出てきて、「ピアノの響きと弦の響きって違うし、難しいですね…。」と弱腰の私に、先生の元気な一言。「そうですね。でも大丈夫!慣れですよ、慣れ。だんだんわかって感じるようになりますから!」

いつもながら先生の元気な一言に励まされ、音階練習も課題の曲もちゃんとできて◎!ようやく次に進むことができました♪

今日の練習の時は、初めからチューナーに頼るのでなく、AとD、DとG、AとEの五度の和音を弾いて、その響きを聴いて、(チューナーの助けも借りながら)調弦してみました。先生に言われたように、ちょっとペグを緩めて、音の合わないところから、ペグを調節して五度の響きを探して…。「お?」と思って、そのままチューナーでも合わせてみたら、合ってました!前の先生にも言われたし、実際そう思うけど、五度の和音で合った時って、ピタッと合った何かを感じるんですよね。嬉しかったなぁ。

だんだん慣れていって、だんだんわかっていって…というプロセスは、時にうんざりしたり、さっさとわかるようになりたい!って焦ったり、嫌になったりしやすいものです。でもやっぱり「継続は力なり」だし、慣れていくプロセスって大事ですね。そして何かを見つけ、聴き取り、感じるプロセスの中で「喜び」を見いだした時の嬉しさが、「続ける力」になるんだなぁと思います。調子いい時、悪い時もありますが、「だんだん」というプロセスと、その中でこそ得られる喜びを大切に、これからも楽しくがんばろ〜!と思いました。

老人ホーム訪問


Jの学校の先生と子供達が、学校の近くの老人ホームを訪問する、というイベントがありました。「父兄の参加も歓迎」ということでしたが、残念ながら時間と体力の都合がつかず、私は行くことができませんでした。子供達の賛美、日本の歌のご披露の他、Aちゃんのバイオリン演奏もあったそうです。

この2つの絵は、Jの作品(?)です。歌った歌の歌詞に合わせて、そのイメージを絵にしたのだとか。ちょ〜っと笑いをさそうという意図もあったようですが、Jがササッと描いて、お友達も一緒に色を塗ってくれたそうな。前日に、「Jが歌に合わせて絵を描いたんだよ。」と聞いたので、「じゃあ、訪問が終わったら、その絵を家に持ち帰ってママに見せてよ。」と頼んでおいたら、ちゃんと持って帰ってきてくれました。大体話や様子は聞いていたけど、思わずふきだしてしまいました。でも上手〜。親ばかなママはすっかり感心してしまい、ぜひ皆さんにもお見せしたくて、ブログにアップしたわけです。

老人ホーム、最初行ってみたら2人だけで、Jは「あれ?2人だけ?」とちょっとガクッとしたそうです。でも歌っている間に、6人になり、人数が増えてきて、20人くらいになって、大にぎわいだったようです。ホームの職員さんが、「いつもはね、歌っている途中に部屋に帰ってしまうおじいちゃん、おばあちゃんもいるんですよ。でも今日は、みんな最後まで部屋に帰らず、喜んで聞いていたみたいです。良かった。」と言ってくださったそうで、Jもとても嬉しそうでした。

最後、おじいちゃん、おばあちゃん達と握手をしたら、あるおばあちゃんがJの手をなかなか離してくれなくて、ちょっと困っちゃった…とも言ってました。でも、ママはそれを聞いて、そのおばあちゃんがJ達が訪問したことを、どんなに嬉しく思い、楽しいひとときを過ごしたのかな、もしかして、自分の子供の小さい頃や、孫、ひ孫のことを思い出していたのかもしれない…と思って、目頭が熱くなってしまったのでした。イエス様の愛を、こうしていろんな人と分かち合うことができて、Jにも学校の子供達にもすばらしい恵みの時となったことでしょう。

PS:音楽はブログにアップできないけど、絵や何かの作品は写真でブログに載せられるので、これからもアップしていこうかな〜と、新しく「ギャラリー」というカテゴリーを作りました。うちのJ画伯の作品や、時にはKevinの作ったもの、私の作ったものなんかをご紹介していきたいと思います。乞うご期待〜(?)(^-^)ノ