Monday, May 31, 2010

誕生日♪

今日は私の誕生日。朝から、たくさんの方々にお祝いメールをいただき、またプレゼントもいただいて、皆さんのあたたかい愛の言葉や行ないを通して、神様からたくさんの恵みをいただいています。ありがとうございます!

今年の誕生日は、私には感慨深いものがあります…。というのは、父が失明したのと同じ年齢になったからです。「パパは今頃、目が見えなくなったんだなぁ。」と、当時のことをいろいろ思い出したり、子どもの頃にはわからなかった、父や母の思いが少しわかるようになってきたり、このことを通して与えられた神様の恵みや祝福を数えて感謝の思いがますます深くなったり…。

5月16日〜24日まで、実家に帰ってきました。その時、家においていた楽譜を何冊か持ってきたかったので、母がまとめておいてくれた箱を開けて、楽譜や本などを探しました。その時、1986年11月号の「決断-Decision」というクリスチャンの月刊誌(今はもう発行されていませんが)が出てきました。両親が取材を受けて、「暗やみにいのちの光輝いて」という記事になったのです。

もう一度その記事を読み返し、大きな試練の中で、神様がどのように父と母に働き、慰め、励まし、その愛の中にしっかりと保って守ってくださったのか、また家族の必要をすべて神様の方法で満たし、私と弟に好きな学びをさせ、神様の導かれる道に進む備えをしてくださったこと、父や母の信仰、そして神様のすばらしさを思わされました。

「主は私の羊飼い。私にはとぼしいことがありません。(詩篇23:1)」小さい時から一番大好きなみことば。このみことばをしっかり握って、父や母の信仰、また私の為に祈り育ててくださった多くの信仰の先輩達の信仰と幻を受け継ぎ、子ども達や霊の子ども達に信仰のバトンをしっかり渡していきたいなと祈らされます。実家に戻って、なつかしい方々にたくさん会うことができました。そして一緒に育った幼なじみのSちゃん、今年度から母教会の牧師になったK君にも会い、一緒に育った友達が、大きくなってますます祈りの友としてお互いを愛し、祈り合える幸いも感謝しました。受けた恵みをたくさんの人と分かち合い、神様の恵みがますます豊かにされ、私たちの歩みを通して主の御名に栄光が帰されますように…!

<ぶどうの木>

「わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。(ヨハネ15:2)」

イエスがご自分をぶどうの木にたとえられたヨハネの福音書15章は、愛に満ちあふれたみことばです。「イエスはまことのぶどうの木であり、私たちはその枝です。」というのが、15章全体の要旨です。この本文は、実を結ぶ枝とそうでない枝が直面する、相反する運命について話しています。大学生宣教団体で軍隊の訓練のような信仰生活を送った私は、この箇所を読みながら失望したものです。自分自身をいくら振り返ってみても「実を結ばない枝」のように思えたからです。少なくとも「実を結ぼうともがく枝」くらいにはなるだろうかと思いましたが、本文にはそのようなグレーゾーンの枝はありませんでした。「農夫である神様が、私のような枝をすでに取り除いてしまっていたらどうしよう。いや、もうすでに取り除かれてしまったかもしれない」と思い、辛かったものでした。

このみことばは、ギリシャ語の原語を知っていても、聖書時代の文化を知らなければ、聖書の翻訳が難しいことを教えてくれます。ポイントは、聖書時代のぶどうの栽培方法にあります。今日のぶどうは枝がY型の針金に絡まりながら育ちますが、聖書時代には針金などはなく、ぶどうの枝は地面をはうようにして伸びました。農夫は地面の上に伸びた枝を一つ一つ持ち上げて、石で支えました。枝が地面に着くと、そこから新しい根が張ってしまい、もともとの根から栄養が供給されなくなり、実を結べないからです。このように聖書時代の農夫は、地面についた枝は「持ち上げ」、実を結ぶ枝は「きれいにする」剪定作業をしたのです。

本文では「取り除く」と翻訳されたギリシャ語の原語は「アイロ」ですが、これは「取り除く」と「持ち上げる」という二つの意味があります。聖書時代のぶどうの栽培方法に基づくと、このみことばは「持ち上げる」と翻訳することもできます。

すると、みことばの意味が大きく変わります。実を結べない枝を農夫である神が取り除かれるのではなく、一つ一つ持ち上げられ、結局は神のみこころをなしてくださるからです。さばきの恐さを与えるみことばが、すばらしい励ましのみことばに変わるのです。結局、枝である私たちが実を結ぶ方法は、とても簡単なのです。ただ、まことのぶどうの木であるイエスにしっかりとつながってさえいれば、農夫である神がすべてをうまく取り仕切ってくださるのです。

リュ・モーセ:イスラエル宣教師、『イスラエル・トゥデイ(韓国語版)』編集長